2019年3月12日火曜日

今回ご提供できるようになりました。絶対に安全で確実なんです

私たちが生きている今の世界は有限に規定されている。ポケットの中のお金などは極めて有限でさみしくなるが、生命だって有限だし、体力、知力も有限だ。住んでいる建物も有限で、放っておけばそのうちに倒壊する。
政治や経済も、その世界に属していて、有限を相手にするものだ。

だから、政治・経済に無限を持ち込んではいけない。

経済に無限を持ち込んだ例としては、ある会に入会して商品を仕入れ、新しい会員を獲得して、その会員に商品を卸し、新しい会員を獲得させる。子会員が孫会員を獲得すると、会費があなたに入金されます・・・みたいな、時々流行するシステムがあるが、アレ、人類が無限にいて、みんなが会員になるという、理想の状態を前提にすれば、素晴らしいものだ。ただ、人類は無限にいないし、あのシステムの要求する規模から言うと、あまりにも少ない。で、理想の状態ではなく、現実を前提にすると、ねずみ講という詐欺の名前で呼ばれる事になる。

政治に無限を持ち込んだ例としては、計画経済がある。これは経済分野の出来事ではなくて、政策だから政治分野の出来事として考える。計画経済にも現実とは別の理想の状態がある。計画者、つまり、役人がすべての情報を知っており、将来の消費動向もすべて完璧に予想でき、恐ろしく有能で、ありとあらゆる変数をたちどころに計算し、答えを出し、間違える事などなく、しかも、あらゆる効率が最高の状態でロスがまったくなくて、工場も不良品など、どうやったら出せるかわからないといった状態だ。役人の全知全能を前提にするわけだ。でも、どこでも役人はたいてい無能で、少々よくよくと保身ばかりを考えていて決定が出来ず、責任を回避するものだ。それで、結局、計画経済は失敗した。

限定された現実を扱う分野に、無限の良い事や無限の悪を持ち込むと、事態が混乱するだけで、何も生み出さない。とても非生産的になるし、危険だ。

無限の安全などない。何をしても、何をしなくても、危険はつきまとう。いくら安全を願っても、危険はどこかに潜んでいる。だから、そこはトレードオフになる。絶対の安全は、無限の安全と同じだから、ありえない。それでは怖い、嫌だと感じても、政治分野ではもって行き場がない。そこは理解しなければならないのだ。危険がいいというのではなく、いくら安全が良くても、限りがあるという事だ。

平和も同じだ。平和がいいからといって、無限の平和があると想定すべきではない。平和を願いつつ、それでも、戦争に備えなくてはならない。戦争の可能性をゼロには出来ないからだ。戦争の可能性をゼロに出来ないのは誰が悪いのでもない。誰がどうやっても、出来ないものは出来ないというだけの事だ。

日本の政治は、ほぼ無限に国民の要望に応えますという姿勢で来た。政党も行政も、無限を引き受ける格好をして来た。そのため、国民もそれをあたりまえのように求め続けている。
学校なんか、教員に出来るわけない事を、やたらと引き受けて、どうするんだと思う。躾なんか、教員に出来るわけない事の筆頭だ。言葉を間違えて喋って平気の国語力の者がいるし、身だしなみも問題あるし、立ち居振る舞いって、大学でやる? 小笠原流の段位が条件に入ってる? 勉強は塾に任せてる教員がほとんどで、実際にその方がいいという状態なんだから、学校は子供の邪魔をしないようにするのが一番いい。

たかだか政治権力があるからと言って、出来ない事は出来ないに決まっている。そこはちゃんと言うべきだが、もしかしたら、政治家にも役人にも、政治に無限を持ち込むのがいい事だと思い込んでいる人たちがいるのかもしれない。
だとしたら、恐ろしく頭が悪い上に、ものを考えた事のない連中だが、入れ歯安定剤はあっても、馬鹿につける薬はないので、政治家なら落選させる。役人なら影響のないポストに栄転させるしかないだろう。


無限を相手にしたいなら、数学か、宇宙物理か、宗教か、お手軽に奇跡に遭遇して平気な(教会は絶対に容認しないだろうけどね)ラブソングの世界があるので、そちらをお薦めします。