2020年7月5日日曜日

東京コミックショーのどっちもどっちもを想起せよ

ファシズムはイタリアのファッショ・ムーブメントを指す言葉だが、ファッショの指導者ムッソリーニは左翼組合の指導者として出発し、ファッショ・ムーブメントの指導者となった。手を組んだドイツのヒトラーが率いた国家社会主義ドイツ労働者党は元々左翼団体で、フランス革命時の小集団の末裔だとする説もある。

ヒトラーはドイツ陸軍の秘密調査員として雇われ、国家社会主義ドイツ労働者党に潜入したという説もあるが、とにかく、戦後、入り込み、指導者となった。
ヒトラーが従軍した第一次大戦で、ドイツはスイスにいた職業売国奴のレーニンに資金を出し、革命のロシアに送り込んだ。

レーニンは金で与太者を雇い、武器を渡し、革命を成就させたアナーキストを襲撃し、殺して行った。子分のスターリンは列車強盗だった。

ドイツは、レーニンを使ってロシアと和平し、ロシア戦線の部隊を西部戦線に振り向けたかった。二面戦を一面にし、楽になりたかったと言われている。
まんまと革命を横取りしたレーニンは、ドイツの要望通りに対独戦争を停止した。
この時レーニンが使った誤魔化しが「反戦」だった。

だが、ドイツは結局、第一次大戦で敗北する。
進歩的なワイマール憲法が制定され、第一次大戦の戦後が始まる。
ロシア革命の影響もあり、共産党は大勢力になる。ロシア革命の実情はほとんど知られないでいた。
そういう中で、ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党は徐々に勢力を伸ばして行く。

ドイツ革命を目論んだ共産主義者が決起する。しかし、失敗する。この時、ローザ・ルクセンブルクやリープクネヒトが殺害されるが、両者に面識はなく、ルクセンブルクはリープクネヒトの存在すら知らなかった。ルクセンブルクの骨は、ドイツで保存されている。

革命が失敗した後も、共産党は一定の勢力を保っていたが、第二次大戦に突入すると、国家社会主義ドイツ労働者党に転向する共産主義者が相次いだ。

日本に潜入した憎むべきロシアのスパイ、ゾルゲは、一味のドイツ人共産主義者たちが国家社会主義ドイツ労働者党に傾倒して行くのに危機感を持ったらしい。

こういう次第で、こうした左翼や右翼は、全体主義というか、統一主義というか、連帯主義というか、共有主義というか、そういうものなら何でも良く、いくらでもあっちこっち移り変わる事が出来る。恐ろしく醜悪でくだらない連中だ。