2020年7月3日金曜日

全体主義とファシズムの現在

左翼はいくらでも嘘を言って、人を型にはめ、従わせようとする。
「連帯」とか言って、みんなを一色に染めようとする。「統一」というのもあった。「共有」もだ。

全部、何それ? だ。

もうちょっとスピンを効かせたのが「多様性」で、「多様性」には型があって、中身はソフト左翼、つまり左翼リベラリズムの一様性でしかない。本当に多様だと認めてもらえず、排除される。あいつら、何やっても許容範囲が狭く、本気じゃないんだ。

みんな「ひとつになる」必要などないし、「連帯感」など、感じる人がいてもいいし、いなくてもいい。何かが好きになる部分は人それぞれだから、決めなくてもいい。

バラバラでいい。バラバラでいられるのを自由という。
(それ以上ではない事は留意すべきだけれど)


人を型にはめようとするのをファシズム(語源は「連帯」だったね)、あるいは、全体主義と言う。全体主義は共産主義をファシズムと区別するための言葉で、中身は一緒だ。右翼の全体主義をファシズム、左翼のファシズムを全体主義と言ってるだけで、同じものだ。だから、いつでも入れ替え可能だ。

いい事を言ってるようでも、結局はそこに持っていくための常套手段でしかないから、左翼など信用できない。詐欺集団だ。

ソフトなのをリベラリズム、ハードなのを極左とか過激派というが、実は同じようなものだ。ソフトだから物分かりがいいわけではないし、ハードだから純化されているわけでもない。

どっちにしても、全部、後ろに「詐欺」をつける事ができる。

「連帯」詐欺、「統一」詐欺、「共有」詐欺、「多様性」詐欺だ、ついでに言えば「改革」詐欺、「革命」詐欺というわけだ。

何があっても、あいつら、これ以上のものにはなれない。そして、きわめてタチが悪い。

それらは、かつてならソビエト・ロシアに都合のいい工作活動と、その周辺の無知な者たちの動向だった。今は中国が取って代わっている。ロシアが何もしなくなったとは思えないが、活発なのは中国の工作だ。