2020年7月19日日曜日

国体再建

自民党は事をあまりに動かさないのが一番という、長く続いた時代に適応し、すっかり慣れ切っているように見える。それは、実際、それがためになる時勢が長かったためだろうし、また、そうした中でも能う限り様々に成し遂げて来たのは理解できる。しかし、それでも、その速度は緩く、四方八方を調整しながら、丸く丸く収める事に時間と労力を費やして来た。それがあまりに行き過ぎていた。そのために利権が生じ、情緒感情に左右されたかに見えて、一部の勢力にあらぬ利益がもたらされても来た。しかし、もうそうは行かなくなる。世界が、そして、とりわけ日本は大きく変わらなければならない。そのように迫られている。戦後という時代、世界は、世界情勢から押しつぶされ、終わろうとしている。

そうした時、自民党は最もうかうかしていられない集団だ。それは自民党は大政翼賛会の直系だからではない。自民党の系譜をたどるなら、明治以来の近代史にあって、薩長藩閥権力国権派に抗して果敢な戦いを行った民権派がある。近代日本の政治史は国権派と民権派の血みどろと言っていい対決の歴史だった。
一例を挙げるなら、選挙開始の時、投票を阻止せんものと投票所周辺を固めた国権派右翼に、抜刀の民権派壮士団が突入、投票の血路を切り開いた。この壮士団が自由党院外団となり、国粋会となる。

国権派は鹿鳴館といった欧州かぶれ、欧化推進であり、ある程度は洋才の内と堪忍袋の緒を締めていた人々が、あまりに度を超し、日本を卑下する欧化奴隷に声を上げたのが国粋主義の始まりだった。
自由党壮士は国粋主義の精神を良しとし、自らも国粋を名乗った。国粋会と袂を分かった人々も「大和民労会」といった名を掲げて結集したのは、その精神として国粋主義にとどまったためだ。国粋会ではなくとも、国粋主義という事である。

不透明な薩長藩閥政治に対し、選挙の推進などで透明性を求める形で尊王攘夷、維新の推進を追求したのが自由民権運動だった。
その点では、国権派もまた、尊王攘夷であり、維新の完成を追求していた。幕末にあって、幕府も勤王も尊王攘夷だった。激烈な殺戮戦を行い、人材が底をついてしまった水戸藩にあって、天狗党は尊王攘夷であり、諸生党も尊王攘夷だった。京都の治安隊として活躍した新撰組の「誠」は尊王攘夷の意味だった。対立が尊王攘夷か否かではなかった事が、幕末と近代を分かりにくいものにしている。

大政翼賛会は、国権派と民権派が合流したもので、深刻な戦時にあって、小異を捨てて大同についた。この大同の中身は尊王攘夷だった。自民党は、国権派と民権派のふたつの大潮流が流れ込んだ勢力だ。

今、トランプ大統領のアメリカが、猫をかぶり続け、嘘で固めた中国の手品を見破った事から、シラを切り続ける中国との対立に至った。ここで猛々しい中国は、本性を剥き出しにし、牙をむき始めた。今、アジアは沸騰し始めている。
グローバリズムの時代が終わる。コロナ禍の原因となった嘘と隠蔽により、各国にわだかまっていた中国への不信が確かなものとなり、中国離れが始まっている。これが大変動だ。

敗戦の衝撃で、動揺し、守るべき国体を否定し、無益な外国崇拝に陥っていたのは錯誤だ。戦後とは、その精神において錯誤の時代であり、空間だった。この空間が大変動、アジアの沸騰によって圧を受け、押しつぶされる。
これこそ自民党の時代だ。左翼など錯誤の産物でしかない。

覚醒せよ、自民党。そして、進撃せよ。