2020年5月16日土曜日

最近、ケイティー・ウェブスターばっかり聞いてる

ローリング・ストーンズに「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」という曲がある。もう知らない人のが多いと思うけど、俺、ひどい生まれで、ひどい育てられ方をしたけど、今となっては、実際のところ、そんなの屁みたいなもんだ。俺は操り人形(ジャック・フラッシュ)だもん。もう、いいんだ・・・てなことを歌ってるんだと思う曲だ。

不確かなのは、こっちの理解力の水準が低いからだろうけど、まあ、これで行く。

操り人形(ジャック・フラッシュ)というのは、ミック・ジャガーの動きを指してもいるんだろうけど、どうせ俺たちは操り人形みたいなもんだよという諦めと開き直りが入り混じった冷めた感覚があるように感じる。
ひどい事ばかりの操り人形だけど、それならそれで操り人形に徹してやろうじゃないか、タフに行くぜみたいな感覚ね。

日本の安全バンドというグループの曲に「あやつり人形」という作品があるんだけど、こっちはものすごく素直に、操り人形と変わらないという自意識を持った青春が、それを拒否して、独力で生きていこうとするといった青春の旅立ちの歌になっている。美しい。

ストーンズは、これにひねりを入れてるわけで、操り人形が糸を切っちゃったらへたり込んでお終いだから、ひどい目にあった過去なんか屁(ガス)で、飛び上がってる今が本当なんだと虚実を入れ替えるって、そこまで自分を捨ててかかるなんてかなりのものだ。

もう死んじゃったロック音楽だけど、こんな捻りのきいた曲もあった・・・なんてえと、いかにも年寄りの繰り言だあな。