2020年5月23日土曜日

穏健な常識としての国粋主義

これは何度でも言おうと思ってる事です。

排外主義と国粋主義はまったく違います。

国粋主義は、今の言葉で言う「出羽守」がそこら中に発生して目に余るので、日本にはこんなにいい所があるではないかとしただけの、常識的で穏当な考えです。

国粋主義が排外主義だったとしたら、戦前の大東亜共栄圏、五族協和といった考えが出てくるはずがありません。

(大東亜とは、アジアの事です。そして、五族とは、漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人・日本人を指します。まったく排外性などありませんね)

欧米に留学した者たちを中心に、ヨーロッパ中心主義が蔓延していたのです。それ自体が恥ずべき後進性なのですが、出羽守さんたちは自分の事には頓着しないのですね。

ですから、国粋主義は、欧米であろうと、アジアであろうと、中東であろうと、美点は美点としてあたりまえに認め、日本の美点と同様に評価します。

私の知る限り、今となっては私を含めて2人しかいない国粋主義者ですが、狭量な考え方であるなどと侮られる覚えはかけらもありません。

ただ、多文化主義などと言って、実際は、相手ばかりを認め、自分の文化をどこかにやってしまうのは、向きを変えただけの出羽守でしかないと考えています。