2017年7月1日土曜日

終わりの終わりとしての情弱劇場

 安倍政権の支持率が下がっているらしい。
 どこで下がっているかというと、高齢者層、もっと言うと「情報弱者」とされる層で顕著に下がったようだ。
 それは不思議な話ではない。支持率の統計調査をしたり、統計調査の結果を発表するのが「情報弱者」を囲い込んで閉じているマスコミだからだ。
 マスコミは、情報弱者向けに、情報弱者にフィットしたセンスの「報道」をしている。それが昂じて勇み足や頓珍漢が目立つほど情報弱者、略して情弱に適合している。
 マスコミが「報じて」いる事を見ていると、情弱感あふれる内容で、情弱界のありようを垣間見させてくれる。ありがたや。
 マスコミは世界や日本についてではなく、情弱についてだけ良く知らせてくれる。ひとつの出来事に対して、情弱からの視点だけで知らせてくれる。これは、もう情弱劇場と考えた方がいい。
 朝新聞を読み、1日中テレビを見て、情弱劇場に触れていると、情弱(向け)の視点でしかものを見られなくなる。
 比喩的に言うと、情弱劇場では、火のないところに煙を立て、放火犯を英雄として扱う(アレ? ヒトラーは放火し、罪を共産主義者になすりつけたっけ?)。それに疑問を差し挟む事はないらしい。
 情報を遮断し、一方的な主張を延々と繰り返すのを1日中見ている。これは洗脳だ。
 情報に触れたくてマスコミを頼りにしているのに、その信頼を裏切り、自分たちのコードに沿った、あまり客観性のない内容を提供している。情弱劇場では、事実を知ろうとすると進歩的な説教を聞かされる。筋の通らない部分は倫理で飛び越されてしまう。何だかカフカだね。
 これは、知と情報の集団自殺だ(人民寺院事件て知ってる。凄く古い話だけどね)。

 情弱層ではなくても、まだ、マスコミの情弱劇場に、つい影響されてしまう事があるが、それはわりと多くの人がひっかかっている所のようだ。でも、そのうちひっかかるのは情弱劇場の観客だけになる。
 情弱劇場よりも、新喜劇や演芸場の方がいいし(浪曲が好きなんだ)、ネットで動画を見るからね。

 安倍政権の支持率の低下は、主にそういう情弱劇場での出来事で、日本全体の現実を代表しているとは言えないように思う。
 情弱劇場では、安倍政権はどんどん支持率を落としていくのだろう。

 でも、それが何か?