2017年7月14日金曜日

何でも正規分布に寄せる上司がスタンと言い出したら、羽交い締めにした方がいい

 蓮舫の国会質問を見ていると、警察の取り調べってのはあんなじゃないかと感じる。
 犯人はお前だと狙い定めて、後は落とすだけという事で口を割らせようとしている。
 警察は行政機関だから、法律に従ってやっているだけだが、それは立法府でやる事かと違和感がある。

 まあ、警察は拳銃をつきつけたり、拳銃を口に突っ込んだり、道場に連れて行って絞め技で気絶させたり、たたんだパイプ椅子に座らせ、スネをいためつけたり、逆さ吊りにしたり、近所や家族周辺の「捜査」で生活しにくくしたり、メディアへのリークで親しい人々を精神的に追いつめたり、色々とやるらしいから、そういう具体的な事象に重ねてではなく、抽象的に言ってるというのはご理解いただきたいところですが・・・

 いや、蓮舫に限った話ではない。革新系野党、それにマスコミも警察まがいの落としを繰り広げている。
 実際の取り調べで似ている事象を出せば、殺人事件などで、霊を弔うと取調室で延々と経を唱えるなんていう、心理的に圧力をかけるやり方がどこか似ているかもしれない。

「メディアでこう騒がれてますが。本当ですか?」
「違います」
「じゃあ、何で騒がれてるんですか?」  (騒いでる方に聞けよ)
「騒がれているような事実はありません」
「騒がれてるこの件はどうなんです?」(一緒に騒いでるのお前だろ)
「事実ではありません」
「こっちはどうなんです?」 (全部最初に言ってるだろが。違うよ)

 みたいな・・・どうしてこうなるかと言うと、安倍が悪いと最初に決めつけてから考え始めているからだと忖度できる。
 可能性を絞るというか、ひとつにしてあるから、結論が最初にあるという事だけど、その上で、結論に合致しそうな事実を集め、その後、事実と結論の関係を逆転させ、これだけ事実があるのだから、結論はこうだ! とする。一般的には、こういうのは飛躍とか、感情論とか、前提が間違っているとか言う。
 でも、安倍=悪と決定してしまったから、反安倍=反悪=正義という事で、正義に邁進する。マスコミも味方だし、極めて気持ちがいい。

 安倍=悪と、どうして決まるのかというと、自民党=悪という前提があるからだろう。雑な前提だが、進歩派にとって使い勝手のいいモデルだから手放せないようだ。
 自民党=悪モデルは、自民党=保守=戦前といった連想ゲームを可能にする。進歩派にとっての悪をつなげるだけだから簡単だ。
 このモデルに異を唱える者は右翼と規定すればいいから、断罪基準としても使える。

 でも、現実は、モデルに反して、進歩派=現状維持となっている。何か問題があって、これを変えなくては良くならないという時に、進歩派が邪魔になる事例が多い。

 学校のいじめは教員の手抜き、無能、心得違い、性格異常がきっかけになっている場合が多い。場合によっては教員が先頭に立っている事もある。あるいは、小学生に暴力を振るう教員もいる。こうした教員は解雇されるべきだが、解雇は出来ないので人事異動のたびに学校を転々とさせる。ここでは、子供の人権をさしおいて、教員の人権を守る事だけが行われている。教員には進歩派の組合が後ろ盾についているが、子供には親がついているだけだからだ。こんな事をしているから、無理難題をもちかけて横暴にふるまうモンスター父兄の対処が出来ない。その場しのぎの現状維持が至上命令だからだ。
 町で子供を殴れば、暴行犯として逮捕だが、学校で殴っても何もない。文部科学省はこんな事を知っていて知らん顔している。天下りに血道をあげる進歩的な役所だからだろう。学校は「聖域」だ。

 進歩派が腐っているのは、本質的には馬鹿だからだが、なぜ馬鹿かというとモデルを固定して、考えなくなるからだ。
 このモデルを提供したのは、共産党と共産党系知識人だったろう。戦後の一時期、共産党は物凄い影響力を持った。勢い余って日本で暴力革命を起こそうとしたほどだ。
 なぜそれほど影響力を持ったかと言えば、占領軍が日本を弱らせるために共産党の増長を許容したからだ。日共が調子に乗りすぎたので、もう許容範囲を超えたよという流れになったのを、日共史観では「逆コース」とか言うらしい。馬鹿だ。占領軍の政策につけこんで、日共を増長させ、一方で、ニセ将軍金日成をたてて北朝鮮を作ったのはソ連だった。
 歴史的に言うと、このあたりに進歩派モデルの原点があるだろう。
 この時期は、戦前の社会システムがまだまだ残っていた。当然だが、この時に成立した進歩派モデルはそれを前提としている。
 問題はその後、現実に合わせてモデルを拡張したり、更新したりが出来なかった事にある。そうなると、これは因習に転化する。進歩派が因習にとらわれているのは、こういう理由だろう。
 モデル更新が出来なかった理由は、進歩派モデルが時代の流れと合わなくなった時に現実よりも、モデルを選択したためだろう。その後、たかだかモデルにすぎないものが教条に押し上げられ、信仰されるようになった。

 このモデルは、時期的に、戦前=悪というところから始まったと考えられる。そして、共産党=善(正義)なのはもちろんだろう。党員だったり、シンパだった進歩的知識人も、善の側だ。で、反対する者は悪だから、戦前とつながる。
 このモデルは、モデルがモデルそのものを善だとしている独善的モデルだ。しかし、独善的だからこそ使い勝手がいいのだろう。

 こんなモデルが何となく受け入れられて来たのは、一時期、共産党の勢いが強かったためだろう。影響力の残像だ。だが、この進歩モデルが現実を無視したために、モデルを信奉する進歩派は現実への対処能力を持てなかった。おそらく、今後も持てないだろう。
 現実への対処能力、つまり、システム構築能力を持てないという事は、何なのそれ?という存在だという事だ。
 で、日共と協力しあったりする政党は、みんな、何なの? なのは、そういう理由だ。

 実際には、自民党=保守という風には分布していない。自害した江藤淳などは、自民党は戦後空間に適応したものと見ていただろう。その上で保守を構築する事を考えていたと考えられる。そうだとすると、自民党=戦前という分布もありえない。
 実は、自民党も、進歩派モデルを共有しているところがあり、違うのは、システムを動かさなければならないという要請によってやっている点ではないかと思われる。現実に向かい合い、対応しているという事だ。

 進歩派モデル=戦後を共有したが、一方は現実に向かい合い、一方はモデルを教条とした。
 日本はシステムを作らず、悪い意味での職人技でやりくりし、つぎはぎだらけでここまで来てしまった。それは、戦前システムがよく出来ていたため、新しく考えないでやって来られたからだ。それを戦後と呼ぶならば、やりくりでは対処が追いつかなくなったら、戦後は終わらざるをえない。

 システムの更新は、戦前システムのいい所を率直に認める事から始めないと失敗するので、政治に邪魔されて失敗させられる可能性がある。だから手をつけられないで来た。だが、国防目的以外の国外での軍事行動は、国際的な合意の上での警察活動に限定するとし、それを履行すればいいだけと考えれば、国際的には問題がない。共産党などは、国防目的の国外での軍事行動を問題にするだろうが、無視できる。

 システムの再構築はじっくりと順序を踏んで進めねばならない。それだけの手腕を持つ人材は、日本には自民党以外にいない。それは、民進党の前の民主党が、政権を樹立した時期にさらけ出した無能によって証明した事だ。