2017年7月25日火曜日

自民党政治の記述性

 都議選で、自民党そのものは2番目に集票していたようだが、それが当選に結びつかなかった。
 ここにはとても自民党らしさが如実に現れている。
 自民党は選挙がうまくない。弱いと言えるだろう。
 どうして弱いのかと言えば、バラバラで統制も何もないからだ。そのため、今回のように各個撃破の形で全体の支持が無意味化されてしまう。
 都議選でも、効率的に候補者を選別し、確実に当選させて行けば結果は出せた。
 しかし、自民党の良さは、バラバラである所だ。
 自民党は国民の利害を背負って議員になって来る。国民の利害はバラバラに決っている。だから自民党はバラバラで、それがいい所になる。バラバラなのは、きちんと国民の利害を反映している証拠だからだ。自民党の政治は利害の調整を役割としている。

 この対局にあるのが共産党だ。
 ほとんど支持されていない。だが、彼らは気にしていない。なぜかというと、レーニンのボルシェビキは名前の意味は「多数派」だったが、実際はまったくの少数派でしかなかった。このレーニン派は革命の役には立たなかったが、他の人々が苦労して実現した革命を、金でかき集めた与太者を使って横取りした。これが暴力革命の意味だ。金遣いの荒い、職業売国奴のレーニンには、革命で使える金などなく、ドイツからロシアの後方撹乱のためにもらった金を使った。第一次大戦中で、ドイツはロシアが戦線離脱する事を望んだのだ。レーニンは、その時の敵国だったドイツのために、戦線維持を決めていた革命に襲いかかった。戦線離脱の時、レーニンは「反戦」を唱えたが、その意味は利敵行為だった。言葉のすり替えだ。
 共産党が少数派である事など気にかけないのは、少数派であっても、レーニンを手本として、最終段階で嘘と裏切りと暴力・謀略によって多数派を倒せると考えているからだ。革命の苦労はアナーキストにでもさせておけと考えているのだろう。
 共産党は、選挙に強い。ほとんど支持されていないのに常に議員を出している。
 これは、ものすごい統制力を示している。で、彼らは共産主義という理念・理想の実現を掲げている。
 これは言ってみれば規範的な政治のありようだ。
 これに対して、自民党は記述的という事になる。
 (規範的と記述的について、最も薄く、ほぼ内容を取りこぼした説明を、例を上げて行うならば、「これはこうあるべきだ」というべき論は規範的で、「これはこうなっている」という説明は記述的だ)

 自民党は、その政治の方法が記述的であるために、バラバラにならざるをえないのだが、これは柔軟性を持つという事であり、強さにもなる。だから、圧勝する事もあるわけだ。
 都議選の惨敗は、バラバラだった事が敗因のパラメータだったかというと、それだけではないように思える。バラバラというパラメータの上位に、もうひとつのパラメータが考えられる。

 ざっと選挙前の自民党議席数、立候補数、当選数を見よう。

 自民党の落選傾向を見ると、新人候補者、女性候補者がほぼ壊滅状態だった。
 当選の傾向で目につくのは、3期目を終え、4期目を目指す候補者が健闘した事だ。
 4期目を目指す候補者の落選は4、当選は7で、他は全部落選数が多い中にあって、ここだけが当選数が多い。
 これは、10年以上の経験はあるが、あまり年寄りではない候補者が選ばれて行ったという事があるかもしれない。
 江戸川区では、6期目を終え、7期目をめざした、たじま和明が落選し、3期目を終え、4期目を目指した宇田川さとしが当選したが、これは、どちらかを選ぶなら、若い方を選ぶという傾向があったと考えられる。
 若すぎてもいけないが、あまり長い人ももういいという事だったのかもしれない。
 極めて中庸な選択が行われたと見ていいようだ。
 そして、この選択はとても健全だと言える。全体としては負けたが、3,4期目が健闘したという事は、主力部隊が残ったと考えるべきだからだ。
 当面、自民党は、この部分の利害調整を土台としてやって行けるし、やるべきだ。

 民進党などは、従来の政治では対応しきれないような変化に期待して惨敗した。そのような変化は民進党を求めていない事がはっきりしたと言っていい。

 それでは、都民ファーストは、自民党が対応出来ていない変化のエネルギーを吸収しえたのだろうか。
 おそらく稚拙な形ではあっても、時代の要求をある程度は汲み取れたと見ておくべきだろう。
 小池百合子は、頭は悪いが、機を見るに敏というか、欲が深いというか、そのあたりは動物だと考えるべきだ。
 だが、動物はそこ止まりで、新たなフレームを作る事が出来ない。もっとも、それが出来るとしたら、自民党しかいないので、特に小池ファーストがダメだというのではない。
 小池ファーストの勝利は、総合力ではとうてい追いつかない自民党を、自派の有利な形の戦いに巻き込んだ事による機略の勝利と見ていいと思う。自民党は非対称戦に持ち込まれ、敗北した形になった。

 これに対して、公明党は自分たちのやり方を徹底して行った。今回の草の根の掘り起こし方はかつてスゴイものだった。そして、それは成功した。
 公明党は、自民党のように総合力を持つ必要はなく、必要なだけ影響力を持てばいいという姿勢に徹しているようなので、やり方を崩さずにすんでいると言える。そうしたスタンスの取り方は成功している。
 
 自民党は、少し時間を置けば新しい時代を吸収できるだけの柔軟性を持っている。いや、他の党は規範的であるがために、新しい時代に対応出来ないでいる。それは、規範的な新しさと、現実の新しさが違うため、規範的な党は新しさを受け入れられないからだ。
 自民党は、利害の調整を通していくらでも新しい現実を吸収出来てしまう。
 ここで利害の調整と言う時の利害は、利権といったものとはまったく別のものだ。天下りといった利権は前川の後輩あたりがやろうとするだろう。ここで言う利害の調整とは、国民の利害の衝突を緩和し、まあこんなものだろうというレシオにするという事だ。

 都議選の結果から言えるのは、自民党は10年選手が強いのだから、もっと前に出て戦った方がいいという事だ。それは、それによって当面の国民の利益が図れるからだ。
 小池ファーストに、非対称戦に持ち込まれたという言い方をしたが、それは心理的に揺さぶられたという事でもある。それによって動揺し、敗北した。
 変化が求められていない所で、中途半端な形で変化を示そうとした。
 すでに、最も柔軟に変化に対応できる政党である自民党が、これ以上やりようがないのに、対応しようとした。そして、せっかくの支持を拡散させてしまった。
 だが、主力が残った事で、ここを中心に力を養えばいい。
 また、全体の支持はあった事、とりわけ主力部分への支持はきちんとある事、そこから、中間層の支持が固い事などの確率が見えて来た。

 気になるのは、新人と女性候補者の力がない事かもしれない。


:本当なら、きちんとデータをクレンジングし、複数の手法で解析を試みた上で考察すべきだが、面倒なのでやらなかった。
 データは、選挙前の自民党都議の名簿、立候補者の名簿、現在の自民党都議の名簿を使用し、簡単な集計を元にヒストグラムを作って見た。
 誰でもできる事なので、集計表やグラフを貼り付ける手間も省いた。