2017年7月10日月曜日

ヌルく、曖昧な結末に向かって 権力の吐息 5

 国家の世界からの分離独立とプロテスタントの成立は軌を一にした。
 カトリック=世界が空間的にヨーロッパであり、教会が階層的にここに君臨している状態から国家が独立する時、信仰もカトリックから分離したのだった。正教、イスラムといったルーツを同じくする宗教に行かず、カトリックから別れたプロテスタントとなるのは、同じ文明に留まるという意思だったと考えられる。
 ここで起きたのは、国家がカトリック世界に所属するのではなく、ヨーロッパに位置するという認識の転換だった。さらに言葉をつぐならば、世界の読み替えが行われた。

 この過程で、英国は重要な役割を果たした。英国内で集めた税金を教会に上納するをやめ、英国の税金は英国で使うとして、引き渡しを拒否したのである。
 自らは王侯に戦費を用立てる金貸し業、十字軍の時に為替システムを作り上げ(テンプル騎士団がユダヤ人のやっていた送金手法を大きくシステム化した)といった銀行の原型を営み、ユダヤ人たちには小口の金貸しの免状を売っていた教会は、許認可権を持つ、独占体の税務署兼銀行だった。
 英国が税の上納を拒否し、世界に対抗しえたのは、海によって大陸と隔てられている島国だったからだろう。
 英国教会の信仰は、教皇ではなく、王を頂点にいただくという以外、儀式などカトリックと変わりがない。他のプロテスタント諸派とはその点が違う。信仰で揉めるよりも、スムーズに移行する事を優先し、あまり変更を加えず、既存のものに手を加えて使う方が違和感もなくていいと考えたのだろう。根源的に神学を吟味検討する気などなかったろうし、そんな事をしても決着はつかず、無意味なわりに深い遺恨を残す争いが生まれるだけだと判断したとしたら優秀な合理性だ。

 宗教戦争はほぼカトリック側の有利に推移して終わった。しかし、その後、第一次大戦では教会の正規軍・ハプスブルク家の帝国が崩壊し、第二次大戦後もカトリック世界は衰退の一途をたどる。 

 中世教会が保持した強大な権力は、ゴチックとも言うべき古色蒼然としたものとなって行った。そして、ゴチック権力にとって代わって行くのが調整的権力だった。
 だが、ゴチック建築につきものの亡霊は、権力にも出現した。壮大で権威のある、人の情動を揺さぶる権力のイメージは残った。
 ゴチック的な権力観を持っている人はまだまだ多いようだ。だが、そんなものはイメージでしかなく、ゴチック的権力など、先進国にはなくなってしまった。政治権力に過大な期待をするのは、それを理解できず、亡霊にたぶらかされている人だ。
 それは何も復古的な考えばかりではない。進歩的という自意識を持っている考えであっても、政治の力で社会を良くしようという考えにも、もしそれが過大な権力を妄想した上で可能だと想定しているなら、亡霊が宿っている。
 あるいは、反権力を掲げる考え方であっても、それが権力の見積もりに失敗し、過大な権力を想定した上で反対しているとしたら、まったくの見当違いになってしまうが、その原因は、彼らに宿った亡霊だ。
 もちろん、教条から反対を引き出し、見積もりなどまったくしていない反権力も同じだ。亡霊に惑わされ、ゴチック的権力をモデルにして現在の権力に反対しても、ノイズ発生以外何の効力もない。
 風車に突進する騎士は、まだ純真で胸を打つものがあるが、ゴチック権力の亡霊にとり憑かれた錯誤の姿に感動などない。

 権力の復古も反権力も、ゴチック権力の亡霊にとりつかれているという点では同じだ。取るに足らないという点でも同じだ。

 現在がどうであれ、物事はなるようにしかならないが、まあまあ何とかなるもののようだ。ただし、その過程では見過ごすことの許されない悲劇が生まれる場合が多々あるのは事実だから、これへの手当ては十分なされなければならない。
 その上で、政治程度の小さなものに達成できる良さなど、先進国ではほぼ達成されている。政治の役目は、邪魔にならない事と、利害の調整を円滑に行う事に向かうしかない。
 そして、利害の調整には、あまりタフではないネゴシエーターが向いている。誰からも「ヌルい」と思われる程度で丁度いい。恨まれるよりはいいからだ。
 実際の権力はそこにあるとされる行政だが、ここの人員削減と機械化は少しの間課題となるだろう。AIに切り替える事が可能な部分は多い。課題というのは、役人の抵抗があるという事だが、最もゴチック的な遺物である官僚の駆逐は、世界中で21世紀の問題となるだろう。

 邪魔という事で考えれば、法的に必要と決められた邪魔となる事で国家を円滑、安全に保つのが行政の役割と言えるかもしれない。例えば、摘発によって犯罪者の邪魔をし、国民の安全を確保するといった事だ。
 しかし、訳書には、もう必要がなくなっている邪魔を、いつまでもやり続ける傾向がある。これは、(邪魔をする)権限がなくなるのを嫌がるからだ。だが、不要な権限を与えておく事は、権力にとって老廃物の除去が出来ない事であり、権力の健全化を阻害する要因となる。
 また、これは日本に限った傾向だが、無能であったり、怠惰であったり、怠慢であったり、反抗的な職員の解雇が出来ない。これは早急に改めないと、その部門が本来の目的を果たせなくなってしまう。学校で、生徒に暴力を振るう教員を解雇できないといった本末転倒が起き続けている。

 行政の問題は、物事がなんとかなる過程の問題でもあり、行政官たちの利害とのバランスの問題でもある。過程で起きる個々の問題に対処しながら、行政の姿を良くして行く事は、権力の最後の課題かもしれない。そこが整えば、権力は十分機能的になり、小さなものとなる。

 権力は、みんなの大好きな、巨大な悪である事をやめてしまい、面白みのない、小さく、散文的なものとなる。

 政治なんて、つまらねえよ。