2017年7月20日木曜日

流離としての戦後時代小説

「柳生武芸帳」は五味康祐の代表作だが、未完だ。
 五味康祐は保田與重郎の弟子だった。保田與重郎は日本浪曼派の中心人物で戦後は、その名を口にするのもはばかられるような存在だった。日本浪曼派は、戦前戦中、多くの青年が心酔したからで、日共=新日本文学会(新日文て、そういう名前だったよね。たしか)あたりの党派的文学観からすれば、右翼の文学だったのだ。
 戦後、日本浪曼派を位置づけなおそうとしたのは橋川文三で、丸山真男の弟子筋の人だと思う。政治思想史畑の研究者で、文学者ではなかった。
 文学者は気の小さな人が多く、共産党の顔色をうかがうような者が多いから、保田與重郎の再評価など思いもよらなかったのだろう。知的にも無理だったかな。

 そんな時代、五味康祐は時代小説を書いた。それは五味にとって時代小説が日本浪曼派の継続であり、世を忍ぶ仮の姿だったという事だ。
 日本浪曼派が禁忌とされた時代、五味康祐は大衆文芸に筆をやつし、歪曲を尽くして日本浪曼派であり続けた。そのような難業を自らに課し、成し遂げた点でも、五味康祐は浪漫的な作家だった。

 五味康祐の筆の重厚さは、そこに起因する。剣の話、剣豪の話、忍者の話をしながら、筆は日本の情念に迫ろうとしている。
 それは折口信夫が平田篤胤に仮託しつつ触れた「倫理」に近いものかもしれない。
(細かく検証する時間がないから、印象です)
 時代小説は近世・江戸時代に材を取るが、天皇の影の薄いこの時代をとりあげつつ、五味康祐は強く天皇を意識させる作品を書いた。「柳生武芸帳」も天皇暗殺を発端とする作品だ。

 林不忘(牧逸馬、谷譲次。長谷川海太郎)が昭和初期に書いて大人気となった「丹下左膳」も、終盤は特に天皇主義を濃厚にしている。隻眼隻手で人斬りを好む強烈な丹下左膳が、五味康祐に何らかの影響を与えている可能性もある。
 余談だが、林不忘と北一輝には親交があり、北一輝は丹下左膳の映画を好んで観ていたという。

「柳生武芸帳」は話が広がり続け、部分はあるが全体が見通せない作品となっていった。だが、それでも重厚さを保ち、読むものを惹きつけて話さない魔力を持ち続けた。
 五味の死によって未完となってしまったが、それは作品の意志であったかもしれない。