2017年7月7日金曜日

多様性って、外国人に我慢する事だぜ 権力の吐息 1

 三権分立と言うが、それは権力を司法、立法、行政に分けるという考え方だ。立法機関としての議会があるという事で、議会制民主主義に即した制度という事になる。

 議会を持たない王権だと、王様が一人で超法規的存在として、臣民を思いのまま支配する。これだと、戦争をするのに軍隊に困る。臣下とその指揮下にある騎士や傭兵で軍隊を構成しなければならなかった。傭兵には支払いをしなければならなかったし、臣下には褒美をやらねばならなかった。そこで、都市を占領したりすると、軍隊に略奪を許し、褒美代わりにした。
 金品は強奪され、女は強姦された。修道女も同じだったという。
 それでも、王様は常に借金をし、困っていた。臣下も、貴族だ領主だと言っても金欠で、王妃だ、領主の妻だと言っても、畑仕事をさせられていた。彼女たちが夜会だ舞踏会だと着飾るのは、若い騎士たちを惹きつけるためで、畑仕事の合間に上品なふりをして騎士に微笑みかけると、うまくいけばその騎士は躊躇せずに死地に赴く。
 これが恋愛というものの始まりだそうで、王だの貴族だの言っても、女房にしてみればロクでもない亭主にすぎないから、若い男が自分にのぼせ上がってくれるなら、可愛いだろうし、なびく事もあっただろう。つまり、お血筋なんてアテになるものではない。
 ロシアのエカチェリーナも、愛人関係を通じて軍隊を掌握し、夫を殺害し、女帝となった。
 絶対権力を持つ王権は、権力のイメージとして最も一般的かもしれない。業務で権力を運営する普通の人というのは、わりと想像できないようだ。そこで、議員になったりすると、王様気分で威張り散らしたりするが、頭の悪さと器の小ささを際立たせるだけだから、面白い。

 現在では、行政が最も権力を持っていると考えていいと思う。
 官僚がかなり勝手に行政を運用しているのが、各国の問題のようだ。官僚の権力は歴史的にも大きな問題で、小さな政府などという考え方も、行政権力の抑制が目的だ。
 トランプさんがメキシコ国境に塀を作ると言ってアメリカ大統領になった背景に、行政エリートが「多様化」などと言いながら、一方的に南米移民を優遇した事に対する不満の蓄積があったと見る意見もある。
 最近、日本でも「ダイバーシティ」とカタカナ化した「多様性」推進議論が普及して来ているが、これ、各国で失敗してる話だから、気をつけた方がいい。
「カルチェラル・ダイバーシティ」というと、文化的多様性という事で、移民にこちらの文化を強要するのではなく、移民の文化も同等に扱おうという立派な考え方なのだけれど、移民の方は、それだったら自分たちの文化だけでいいとなり、多様化しない。
 相互性のない多様化は、理解にもつながらず、対立と不満しか生み出さない。
 英国もそうなってしまったし、アメリカも不満が蓄積している。
 この多様性の失敗が、ISの影響によってテロの下地となってしまった。テロはめったやたらと移民を受け入れようというメルケルだけの失敗ではなくて、多様性などを掲げていい顔をしたがったリベラル・エリートの責任でもある。

「君たちを受け入れよう、認めよう。多様化だからね」
 と言っておいて、それじゃ、受け入れられたと認識していたら、言葉が出来ないと仕事をさせてもらえない。会話は出来るからいいだろうと思っていたら、読み書きが出来ないから雇えないと言われる。
 それじゃ、最初の話と違う。多様性でも何でもないと不満を持つようになる。

 一方、受け入れる側は、
「柔軟に、多様性で行きましょう。心を広くもって、労働力なんですから」
 と言われ、そんなものかと思っていたら、相手はまったく柔軟性がなく、自分たちの文化に固執して、押し通すだけだ。住み着いた一帯は貧民街になるし、働きもしないで犯罪者ばかりになる。働きたいと言うが、言葉もわからないのだから無理だ。それに、怠け者で頭も悪く、勝手なことばかりする。こんなもの多様性でも何でもない。あいつらに身勝手をさせてるだけじゃないかと不満を持つようになる。

 こんな感じだろうか、英国のどこだったかな、パキスタン人移民の若者たちが、地元英国人貧困層の娘たちを長期間に渡って、常習的に強姦虐待していたのだが、多様性政策の時期で、警察も見てみぬふりをしていたのが発覚したなんて事があった。
 イスラムは女権など認めないから、多様性と女権は相容れなくなる。多様性などという言葉で、管理を放棄するとそういう悲惨な結果になる。

 いくら口当たりのいい言葉だろうが、軽率に多様性などに乗って、後で我慢に我慢を重ねるなんて愚の骨頂だ。わざわざやるような事だとは思えない。

 行政エリートの失敗は、こういう形で取り返しのつかない結果になる可能性が高い。失敗のツケを払うのは国民だから、不満が蓄積すると、反エリートの色彩が強いトランプさんのような人がトップに立つ事になる。
 トランプさんをポピュリズムだとする批判があるが、その反対側にエリート主義がある。大衆対エリートの対立が、選挙で決着するというのは平和でいい。結果に不満で、暴力を奮ったり、暴言を吐いたりしている人たちは、わがままで思慮が足りない。
 トランプさんが完璧だというのではなくて、トランプさんをトップにさせたシステムが立派だと言いたい。そのシステムがオバマさんを大統領にもした。残念ながら、オバマさんはあまり評価できる大統領ではなかったけれど、でも、オバマさんを大統領に出来るシステムは立派だ。
 そのシステムがトランプさんを大統領にしたのだから、それはそれで尊重するのが、平和を重んじるという事につながる。