2020年10月1日木曜日

良心のメニュー

左翼は良心のある人々が維持して来たし、今も支えている。

彼らは良い事だと信じて運動したり、運動を支持している。

困った事に、多くの人が良い事だと信じて、いい事を守るためにひどい事をしたり、見逃したりしている。

良い事なのだから良いんだというので、本当に良いかどうかの検証もなく、ただひたすら信じている。

これはもう信仰と見た方がいい。信仰を組織したものが宗教だとすれば、ソ連が作った共産党などは、世界的によく組織されている。日共はあんなに無能なのに、よく組織されていると言えるのかと疑問を持つ人がいるだろうけれど、旧ソ連からすれば、言う事をききさえすれば馬鹿でもいいのである。革命はソ連が軍事侵攻して起こすものなのだから、どんなに少数だろうと、ひとつの勢力がありさえすれば問題ない事になる。

中国など、日本軍から逃げ回っていただけの毛沢東が、ソ連の後押しを得た上で、強引にモンゴル兵を先頭に立て、蒋介石の国民党軍を破った。ソ連軍と国民党軍の戦いだったから国民党は負けた。朝鮮戦争も、ソ連軍、中共軍が韓国に攻め込んだ。中国軍を指揮していた林彪は丸腰の中国人を最前線に追い立てて突撃させ、米軍の精神と弾薬を消耗させた。中共にしてみれば、中国人の命は米軍の弾薬よりも価値がなかった。

北朝鮮軍(ソ連軍と中国軍)は、韓国全土を掌握しかかったが、マッカーサーの米軍に現在の国境まで押し戻された。金日成はキリスト教徒の家で生まれ、戦時中は満洲匪賊をやっていた。それがソ連軍の兵隊になっていた関係で金日成と名乗り、将軍様に収まった。

革命なんて、こんな調子のものなのだ。

ところで、革命は、左翼にとって至上の価値である。良い事の最高峰だ。

左翼にとって最も良い事は、ソ連の侵攻を待つ事だった。それ以外は、待ってる間の時間つぶしというか、何かしてる風を装う誤魔化しだった。

ソ連は当然、そこらはよくわかってるから、時間つぶしのネタをもったいぶった形で指示して来た。何とかテーゼとか、そういう指令だ。

日共は、そういうのが来るたびに右往左往したんだろうね。きっと真面目に服従しただろうと思う。

こうして、良い事というのが決まって行った。

良心的な人たちは、この良い事に参加すればいいという事になった。良い事の効率が非常に上がったのではないかと愚考する。

参加者が増えると、規模も拡張するので、良い事のメニューもどんどん増えて行った。

とりわけ、アメリカが南に、ソ連が北についたベトナム戦争では、アメリカで反戦運動を起こして戦争の足をひっぱる作戦が成功したソ連は、イケイケの拡張戦術でメニューを増やした。

アメリカでの反戦運動の成功は、黒人差別に反対する公民権運動の潮流にうまく反戦運動を乗せたからだった。アメリカは黒人への人種隔離を行っていたが、1950年代から1960年代に公民権運動が盛り上がり、人種隔離など差別政策が撤廃されて行った。

公民権運動は立派な運動で、南北戦争前からある黒人差別をなくそうという意志の表れだった。大きな運動だったが、そこにアメリカ左翼も参加していた。これがソ連の指示でベトナム反戦運動を始め、公民権運動の熱気の中で広まって行った。

北ベトナムも旧ソ連同様軍事国家だったが、そこは口をぬぐって、アメリカだけを非難する反戦運動が成功した。ソ連は、アメリカが北ベトナムと戦っているという幻影をうまく見せたと言っていい。実際は、北朝鮮軍も出ていたし、ソ連軍も参戦していた。だが、北ベトナム側の軍事支援は隠ぺいされていた。

反戦運動をやっていた者たちが、女性運動、環境運動といった様々な運動を派生させて行った。メニューが広がった。公民権運動から出て、左翼と結びついた黒人運動もあった。この流れが現在まで続いているようだ。

ソ連がパレスチナ組織を武器輸出に使っていた関係だろうか、左翼はパレスチナ側に立った。この中途経由の武器がヨーロッパの過激派に売られ、爆弾や銃撃などテロの吹き荒れた鉛の時代をもたらした。パレスチナ支持は、なぜか反イスラエルとなった。スターリンやトロツキーがユダヤ人嫌いだったせいなのか(トロツキーは自身もユダヤ人であるのにユダヤ人を嫌悪していた)、マルクス=レーニン主義がナチズムと親和性が高いせいなのか、その理由はよくわからない。

この旧ソ連の武器販売ルート、南米ではキューバが代理店となって南米ゲリラに販売した。南米ゲリラは武器購入資金のためにカルテルと手を組み、営利誘拐事業を起こすなどした。人身売買も行っているようだ。武器と麻薬、人身売買は混然一体となっている。これがアフリカから中近東に事業輸出されてヨーロッパの難民問題を引き起こした。

(アメリカの)戦争反対、(アメリカの)人種差別反対、(アメリカの)女性差別反対、(アメリカの)環境汚染反対といった良い事のメニューが出来て行った。他には多様性とか、色々とあるがよく知らない。

このカッコの中を他の西側先進国に変えれば、良い事が出来る。楽でいいシステムかもしれない。

他には、第三世界支援というのもある。第三世界論は旧ソ連が言い出した議論で、当時は、ソ連による後進国支配の正当化の役割を担っていた。これが、いつの間にか、現地の専制政治化によってソ連や中国や北朝鮮の武器の購入費になってしまうのに、それを無視して援助を送る支援事業の理論になった。融通無碍というか、変幻自在というか・・・である。

環境派は、旧ソ連、東欧、中国、北朝鮮の環境破壊は一切問題にしない。これは左翼国家には問題などないという硬直があるからだ。良い事のメニューにないものは、悪い事か、存在しない事のどちらかのようだ。

この硬直を、良心をもって押し通す。当然、そんな馬鹿げた事に歩調を合わせられない人の方が多い。だが、「良心」の人々からすれば、それは脱落者でしかない。彼らは良い事メニューを護持し続けるのに全身全霊を傾けている。

別に日共に限らない。革共同だろうが、共産同だろうが、青だろうが、みんな同じだ。

だから、彼らは手が付けられない。自然死して行って、時間によってかき消されるのを待つしかない。今後、増加する見込みがないのが救いだ。現在の個体数が維持される事もない。

ここから教訓を引き出すとすれば、良心というのはとてもいいものだけれども、自分の良心は自分でよく考えて用いなければいけない。既製品の良い事は駄目だということだ。

共産党は、良心のファストファッションで、一時は良く売れたし、今でも老舗のようにふるまっているけれども、良心はファストファッションにはマッチしないものだった。そこもマルクス主義の間違いのひとつだったと言えるだろう。ファストファッションが悪いのではなくて、良心のファストファッション化がダメだと言っているのはご理解よろしく。

もちろん、既成メニューに入っていた良い事は、一切合切廃棄すべきだろう。良い事なんだからなどと、惜しんでいたら、ファストファッション化の汚染は駆逐できない。