2020年10月8日木曜日

国会に審判と映像・音声記録の導入を

感情的になり、怒りに身をまかせると、視野が狭くなり、議論など出来るものではない。議論は冷静に進めなければ、自分の間違いや、相手の正当性といった事が理解できなくなり、無駄なものとなる。ただ、自分の主張を言い募り、言い張るのは議論ではない。

左翼野党を見ていると、そんな初歩的な事が理解されていない。あるいは、わかった上で無視している。彼らは国会での議論を軽んじ、自分たちの政治宣伝をしようとしているだけだ。

だが、もちろん、そのような邪心は成功していない。心ある人々に呆れられ、見捨てられてしまったからだ。

彼ら左翼は、人々の不満を焚き付け、感情的にさせ、理性や知性を失わせ、自分たちに従わせ、操る宣伝工作行為を政治と取り違えている。彼らもまた、そのように操られた果てに、操る側になったからだろう。まともな人は、みんな途中で離脱した事だろう。残ったのは、感覚が鈍く、理解力にとぼしく、攻撃的で、自分勝手な人ばかりだ。ただし、自意識としては、知的で論理的で先進的だ。彼らほど非論理的で保守的で、変化を嫌う人々はいないのだが、それでも自分は先進的だと思い込んでいる。そんな風な心的構造は、まったく興味を引かないものだけれど、そうした点を、彼ら彼女らは、互いに嫌いあっているのかもしれない。

さて、何の話かというと、税金を使ってやっている国会だ、感情的になった議員は、一時退席させ、冷静になってから戻らせるようにする事を提案したいのである。声を荒げたり、怒りという言葉を使用したり、激した態度をとったら退席させていいだろう。議論の妨げになり、時間を浪費させる。

フットボールのような激しい運動競技でさえ、乱暴な言動は退場の対象となる。建設的であるべき国会の議論において、かえって破壊的な言動が容認されているのは間違いだ。

審判を決め、短い時間でいい、退席させるようにすれば、議員先生たちも意識して冷静でいようとするだろう。

また、審判に加え、映像と音声の記録を残すようにすれば、テレビ中継の時だけ恰好つけて、後は居眠りしている議員もいなくなる。昔々、菅直人が師と仰いでいた市川房江は国会で寝てばかりいたという。あの方が良かったのは大政翼賛会推進派だったという点だけかもしれない。

いかがなものだろうか?「国のため」と言いながら、「国」の前の「中」という1文字を隠し、本当は「(中)国のため」に活動している人々に、日本の国会を、これ以上妨害させるべきではない。

議員たるもの、国会は立法サービスの場であり、議員はサービス業だという事を、肝に銘じていなくてはならないだろう。