2020年10月11日日曜日

左翼の馬鹿、頓馬、唐変木・・・うーん、迷う・・・

 左翼は言葉に独特の意味を(勝手に)持たせている。

例えば、「自由」は「左翼が何やってもいい」という意味だ。ここのところは「左翼学者の利権を守る」事を「学問の自由」と言うようになった。

彼らは言葉本来の意味を無視して、元々は宣伝工作用語なのかもしれない意味を言葉に持たせる。

「人民のため」というのは、「党のため」という意味になる。何故かと言うと、共産党は人民を代表する独裁政党だからという理屈なんだと思う。党=人民だから、共産党幹部が貴族になれば、人民が貴族になったのと同じという段取りなんだろうね。普通に言うと、詐欺だわな。

「表現の自由」は、「国を貶める行為に税金を投入する」という意味になる。これは愛知県の左翼方言かもしれない。

左翼の言う「言論の自由」は、省略しないで言うと、「左翼の言論のみの自由」になる。反対する言論は陰湿な方法、あるいは、暴力によって封殺される。

「暴力」は、他のグループなどに対して使う言葉で、自分たちが人を殴ったり、傷つけたり、殺したりしても「暴力」とは言わず、「革命的」何とかと表現する。日共の宮本とか、連合赤軍とか、中核派とか、革マルとか、青解とか、殺してるよな。人殺しのくせして偉そうに説教してんじゃねえっての。

色々な運動が、本当に言葉通りのものだと信じて参加する人を騙し、左翼の利権拡大、左翼の運動拡大、左翼の居心地のいい環境作りのために行われている。

そこで正当な疑問を持つと、「みんなでやっている事」だから云々と誤魔化しを言う。で、その意味は「俺に責任はない」という逃げだ。「内なる」何とかというのもある。問題を内面化すると、対象化して問題点を洗い出し、解決方法を模索するといった分析処理が出来なくなり、無限の倫理課題となってしまう。もちろん、問題は解決しなくなる。左翼はそれでいいんだろう。昔々、第4インターというグループが、年頭に自分たちが取り組む問題を発表した時に、「三里塚」を忘れていた事があった。彼らは三里塚闘争で名を上げた集団で、三里塚は一番に目標として掲げなければならないはずなのに、そういうザマだった。本気度がうかがえるというものだ。ま、左翼なんてそんなものだ。


左翼と普通の常識人とは話がかみ合わない。上の人間がこじつける批判とか扇動とか、そういうので頭がいっぱいで、その分、理解力がない。余裕がないし、頭も悪くなっているんだろう、自分たちの言葉遣いでない言葉は拒絶する。「怒り」といった言葉に浸っているせいか、感情的になりやすい。だから、話せば分かるという相手ではない。前々からみんながやって来た通り、ああそうですか、たいへんですねとかその場限りの誤魔化しをしながら、無視し、消滅するのを待つしかない。そのやり方は効果があり、どんどん絶滅に向かっている。

左翼は権威が好きだから、東大京大卒を幹部、指導者にする。教授なんて言うと、もう上席に置く。すぐだ。研究も勉強もしないで、学問的実績がなくても関係ない。どうせそんなもの読む左翼はいない。

左翼の言う「実践」は、下っ端にやらせる事で、学者、知識人なんかはそんなの関わらない。

学者、知識人はそれでいい気持ちになるんだろう、共産主義を支持する。頓馬め。そのあげく、誰も読まないし、判読できない本を書いて来た。それで偉いと思ってるから始末に悪い。


左翼って、馬鹿で迷惑な連中だ。