2018年4月22日日曜日

政治と統計

 平均、中央値、最頻値といったデータの特性を表す値を代表値という。これと分散や標準偏差などの散らばりを表す値は分析によく使われる。
 政策は代表値で決定されるもので、散らばりは参考にされる程度だ。
 国民一人一人は散らばりであらわされるが、すべてをフォローするのは不可能だ。そこで代表値で政策決定をする。
 これは、その政策(法律)で完全に満足する人が、まずいないという事を意味する。
 散らばりの値が代表値と同じという事があったら、ものすごく稀有な例だからだ。
 だが、それは立法の限界というものであって、とりたてて不備という必要はない。不備というのは、代表値を無視したとか、ごまかしたとか、あるいは、中央値を見るべきところを平均でやってしまったとか、そういう事を言う。
 この限界を緩和するために行政は現場で対処する。
 この対処に問題がある場合、行政訴訟となる。

 よく、統計の入門書などに出てくる問題で、気温とアイスクリームの売り上げ関係がある。
 気温が上がるとアイスクリームの売り上げも上がる。気温と売り上げのデータを取ると、点で現されるグラフが作れる。これは線形回帰の問題だから、沢山の点の中に線が引かれる。で、翌日の天気予報から、これくらいの売り上げになるだろうと予測するというストーリーだ。
 この場合、平均からとった予測と実際の売り上げは一致しない。
 つまり、売り残りが出るか、客にいるのに売り切れになるかのどちらかだ。
 これをリスクという。このリスクのどちらを取るかが考え方で、売れ残りが出てもいいから、欠品を出さないとするか、売れ残りは嫌だからと、欠品を許容するかの判断になる。
 一般的正解はない、この問題に経営者は取り組み続けるわけだ。

 原子力発電も同じで、原子力発電を停止させる事で原子力発電所の事故のリスクはなくなるが、火力発電のリスクは最大化されてしまう。つまり、現在、日本の石炭輸入量は世界一位で、このリスクは、供給元との国交リスク、石炭燃焼による大気汚染リスク、石炭の放射線リスクがあり、また、能力いっぱいで操業している火力発電に事故などの問題が発生し、停止した場合の停電リスクがある。
 2020年のオリンピックで、一時的に人口が増加し、電力需要が拡大した場合、東京のおもてなしを維持するために、近県で計画停電を実施する事になるかもしれないが、信号まで止まるため、街灯のない道での交通事故のリスクが高まる。また、病院が停電になった場合、急患の受け入れは不可能になるなどの医療リスクも高まる。
 脱原発はリスク・フリーなどではない。問題は、どうリスクを取り、どうリスクを分散させ、管理するかがあるだけだ。
 原発を止めました。さあ、もうリスクはないですよ。何にもしないでいいですよといった事はない。その点でも、脱原発運動は嘘をまき散らしている。
 原発は早期に再稼働させて行くべきだ。

 政策は代表値で決めざるを得ないものだから、その限界はある。だから、散らばりの値を見ながら、政策を批判する事はありえる。
 この値をもっと重視して、こう変更した方がもっといい政策になるといった話だ。
 あるいは、散らばりのこのクラスターは、従来の政策とは別個に考えるべきではないかという事もありえる。
 だが、散らばり値を振りかざして、政策を全面否定するような事はどうかと思う。それは問題の存在そのものの否定にしかならないからだ。政策(法律)が時代にそぐわなくなって、もう必要がない場合や、さして問題でもないものをことさら問題化するのを止めるなら、代表値で処理できるからだ。
(議員も馬鹿が多いから、代表値と散らばりの区別もわからない者がいる)