2018年4月25日水曜日

安倍政権の政治の新しさ

 去年から気になってたんだけど、森友の話ね、どうしてフィクサーが籠池さんの口封じしないのか疑問だった。

 その昔、フィクサーと呼ばれるようになる紳士たちがいて、籠池さんのような人に、これ以上余計な事を言わないよう説得するために現れたりしていた。現れると言っても、人知れず現れるので、大抵の人は知らなかった。
 企業なら総務の人なんかがそういう人とも付き合い、何かの時のためのパイプを作っていた。
 で、そういう紳士もヤクザとつながりを持っていたりして、クライアントがヤクザと揉めると、知り合いのヤクザを通じて事を収めていた。もちろん、金が動く。
 ある意味、金や力でもって統制し、秩序を保っていた。
 昔は、企業の株などもそういう統制下にあった。
 株の買い占めなんかをすると、フィクサーが来て買い戻し交渉をする。市場価格より高い金額を提示されるが、それでも売らないと頑張ると、今度はコワモテの紳士が登場となる。買い占めをする側も、それなりの人がついていて、登場する。
 そこからは、買い戻し価格をめぐってのきわめてシリアスな交渉となる。力がそのまま金額になるむき出しの世界だ。

 企業の内紛や不祥事、政治家の不祥事のもみ消しなどもフィクサーの営業に入っていて、助けられたのは自民党だけではなかった。
 で、森友が問題になった時、あるいは問題になる前に、籠池さんに、黙っててねとお願いして、なにがしかの紙袋を持ってくる紳士が登場しなかったらしいので、興味を持った。
 フィクサーがいなくなったという事はなさそうだし、籠池さんも、そういう方向での働きかけを考えていたかもしれない。札束パフォーマンスで、チラッとそんな感じを受けないでもなかった。

 森友で安倍さんに何かあったとか言っているのではない。あってもなくても、面倒だから籠池さんに黙っていてもらうという手法が、昔はよくとられていたという話だ。

 でも、結局、フィクサーは登場せず、安倍陣営は表の世界の対処に終始した。
 野党は、籠池さんのような怪しい人の言い分を攻撃材料にしようとした。

 安倍政権は、例え短期的に利用価値があったとしても、妙な勢力に頼る事はしないというビジョンを持って事に当たったと思える。だが、野党側は、古い、薄暗い政治にしがみついている。勝負にならなくてあたりまえだ。

 安倍政権のビジョンは、透明性、公平性の徹底から未来を切り開こうとしているものだと理解できる。そのために、一時的に苦しくても、切るべき過去のしがらみを切っている。自民党は、ここから後退してはいけない。
 安倍政権の政治の新しさは本格的なものと評価できる。