2018年4月29日日曜日

ドランクをモンキーと言うと、猿に失礼だ

 支那武術に「酔拳」というのは本当にある。流派の名称ではなく、また、技の名称でもない。
 酒を呑んで抑制をなくしてしまい、酷い大暴れをして相手を倒す手法が酔拳だ。
 人が人でなくなる事でその場だけ強くなるという、邪道の中の邪道だ。
 アルコールがそういう恐ろしい作用を持つものだという事を、支那武術でさえ認識していた。

 酒の味もどきのノンアルコール飲料というのがあるが、断酒・禁酒をしている人には鬼門で、飲酒に戻る引き金になる場合が多いので、ノンアルコールだからいいという認識はまったく間違っている。甘いのではなく、間違っているのだ。

 アルコール依存は直らない。治療をして、どこかの時点で直れば、また酒が飲めるというものではない。一生、何があっても一口も飲まないでいなければならない。
 それは、ああ、こんな時に一杯やるといいんだがなと思い続けて生きるという事だ。いい時も、悪い時も、何もなくても同じだ。だが、飲んではいけない。一人だけ、飲んではいけない。糖尿と同じで、直らない症状の治療を生涯続けなくてはならないのである。

 山口達也の事件がアルコール依存への関心と理解が高まるきっかけになるかもしれない。彼は、バンドや仕事や立場などではなく、一生がかかった所にいる。山口の将来は、自分が起こした不祥事ではなく、アルコール依存によって潰えてしまうかもしれない。
 アルコール依存を否定するなど、まだ自分に嘘をついているようだが、こうした虚言も症状のひとつだろう。


 支那武術は漢民族だけのものではなく、ペルシャ系と思われる拝火教徒、イスラム、モンゴル人など、様々な民族の技術が混ざり合って出来たもので、その技術は漢民族だけのものではない。
 中共革命後、支那武術は危険と見なされ、主立った武術家は家族ごと中共に殺されるか、台湾に逃げるかした。支那武術の正統は台湾にある事になる。