2018年5月19日土曜日

戦後民主主義が終わり、民主主義がはじまる

 野党が目先ですらない感情論で安倍政権の足を引っ張る子供じみ得た行為を繰り返している。共産党は元々そういう政党だから論外として、立民、国民、社民なども同列に並べるしかない行動を取り続けている。

 彼らは国益を無視し、学級会レベルの議論に終始している。
野「アベ君は、森友を贔屓したと思いマス」(光浦靖子っぽく)
  ここでマスコミ先生登場、「アベ君、森友で贔屓と野党批判」と報じる。
野「アベ君は、加計でもズルした感じです」(同じく)
  マスコミ先生、「アベ君、加計でもズルと野党批判」
野「マスコミ先生もアベ君が森友や加計で贔屓やズルしたと書いてます」
野「文書改ざんは、森加計で贔屓やズルした感じがするアベ君のせいだと思います」(ゴメンね、光浦靖子さん)
野「官僚のセクハラも、森加計で贔屓やズルした感じがするアベ君のせいだと思います」(そういう芸風だから許してね)
 といった具合だ。

 こうして安倍政権の足を引っ張る事しか頭にない野党は、国益を追求する議論をすべき国会に学級会を持ち込み、国益を無視し続けている。
 安倍政権は、学級会におつきあいしながら、きちんと国益を追求している。
 国益を無視する野党が安倍政権の足を引っ張るのは、国益の足を引っ張るのと同じになってしまっている。
 安倍政権だけが国益を守ろうとしているのだから、安倍政権が国益となり、野党は国益に反する存在となる。

 野党は北朝鮮の手先だ、いや支那の手先だといった話が出てくるのは、なかばあたりまえだろう。なぜ野党が国益に反する行為を繰り返すのかと考えたら、そういう推論もありえるからだ。
 実際に北朝鮮や支那の手先でなくても、左翼の活動家上がりで議員になった人たちは、日本の国益に反対し、北朝鮮や支那(かつてはソビエト・ロシアも入っていたが、もしかしたら今でもそうかもしれない)に味方するのが「正義」だと思い込んでいる。これは信念というか、ほぼ信心だから止めようがない。

 本来野党に期待されているのは、政権の政策が本当に国益に即したものかどうかを検討、議論する事だ。そのためには野党は野党なりの国益の構想を持っていなくてはならない。かつて民主党は、そうしたビジョンを持っているフリをして見せて政権を取った。でも、そんなものはなかった。国民はひどい目にあった。

 安倍政権が国益を代表する次第となり、野党は安倍政権の足を引っ張る事で反国益勢力となっている。国益ビジョンがないのだからあたりまえだ。
 この後、延々と学級会を続け、頭の悪さ、センスのなさ、鈍感さを丸出しにしつつ、野党は国益を損なう事にすら失敗し続けるのだろう。
 実は、あの人たち(進歩派と言うのか、左翼というのか)は戦後(戦前からかな)ずっとああだったんだろう。それが誰にでも見て取れるようになった。劣化したのではない。バレるようになっただけだ。

 あの系の人たちが様々な利益を享受し時代を謳歌した枠組みを戦後民主主義と呼んでもいいかもしれない。今、民主主義は戦後民主主義を駆逐しつつある。それがあの系の人たちには「民主主義の危機」と映るのだろう。あの系の人たちに、この部分はおそらく理解できない。