2018年5月29日火曜日

ポピュリズムは民主主義だ

 ポピュリズムという言葉、曖昧なおかげでよく使われる。悪口に丁度いいのだろう。しかも、ポピュリストと名指しされると民主主義を破壊する悪者みたいに思われてしまうので、印象操作にもなる上に、それを言った人は、人々にさも民主主義の守護者のような好印象も与える事が期待できる。
 これはポピュリズムが定義されていないから起きる事だ。きっと、その方が悪口として使いやすく都合がいいのだろう。「私は、これこれこういう意味でポピュリズムという言葉を使う」と定義してからやってもらえると助かるのだが、誰も助けてくれない。定義も意味もなく、ただ、人を貶めるためだけにある、とても汚い言葉に、ポピュリズムは位置づけられる。
 何となく、頭のおよろしい方々が、下々を見下して言っている言葉にしか感じられない。
 その方々は、民主主義の中で少数派にとどまっている事が不満なのだろう。大衆に相手にされないので癇癪を起こしているのかもしれない。どこの国でも、国民の多くは、自分が所属する国が強く、豊かな大国である事を望み、喜び、努力する。それを悪い事のように言い、こちらを尊重しない国や民族にいい顔をするのが進歩的だという考えを広めようとするなら疑問を持たれてあたりまえだ。
 それがわからないのは、自分たちが正しいと思っていたのに、それが間違いだったと認める精神力を持たないからだ。
 大衆を嫌っている人たちにとって、民主主義はポピュリズムなのだ。傷ついた進歩派は、民主主義をポピュリズムとこき下ろす事で、否定しようとしている。彼らはそんな力もないくせに大衆を乗り越えようとしているようだ。
 なぜそんな事になるかと言えば、彼ら進歩派は最初から民主主義者ではないからだ。