2018年5月19日土曜日

そんじょそこらの馬の骨てえものは楽でいい

 読んでいただいた方から質問があった。
 私の書き方が悪かったので、改めて書きます。

 長崎浩氏の文章や本は、ご本人の意図がどうあれ、彼のいた左翼村はくだらないものだったという内容しか読み取れない。長崎氏は誠実な方なので、御自身の体験を誠実に書いたら、そういうものになってしまったという事だと思う。
 私には、ほとんどがそう読めるだけなので、図書館にあった本を読む程度のコストですんで良かったと感じている。
 左翼運動というか、革命運動というか、そういうものに関わりのない者は読まなくて良かったんだなと、場違いだったという事だ。

 私は、革命のような混乱はどさくさ紛れで悪い事をする者たちが出て来るだけだし、その後、たいていは世の中が悪くなるからやめた方がいいと考えている。どうせできる事は変わらないし、誰でもたいていは同じ事しか出来ないのだから、わざわざやる奴を取り換えるコストは無駄だ。ただし、共産主義は最低な事しかしないと歴史が証明しているので、前例を鑑みて例外とする。

 真面目で頭の良い人たちが、共産主義運動などに入り込み、抜けられなくなってしまうのはどういう事なのかわからないのだが、もしかしたら、最初の誤認があまりにはなはだしかったので、後で対処しきれなくなったのかもしれない。一瞬、不誠実にふるまう事の方が誠実だというパラドクスを通り抜けられないのかなとも思う。

 まあ、そんなこんなで、いつも通り、あまり面白くなかったし、もう読まないだろうと思う。
 ただひとつ、どこかでオウム真理教の外道どもについて書いていたけど、科学とオウムという事で、コスモクリーナーとか、ああいう馬鹿げた偽科学と偽神秘主義の結合について、これは東日本大震災後の原発事故にまつわる脱原発派の一部による誤情報の拡散とも関連するので目を配っておいて欲しかったな、もう、いまさらいいけどという感じはある。
 左翼の非科学性の責任の一端はあるかもというだけです。

 かつて左翼運動の青年将校と呼ばれたという方のその後に興味があったのかなと、わりと長崎氏を読んできて思う。青年将校なら、2・26の末松太平の方が好きだけど、ああ、そうか、抜けられなくなるのは、将校だったからかもしれない。そこらの兵隊は何してもどうでもいいけど、上はそういかない。