2018年5月30日水曜日

分散民主主義下における統治者の覚悟

[特定野党]って、民主党の残骸なんだよな。一度やらせてみようって、民主党に政権とらせてみたら、どうしようもないんで、国民のほとんどは懲りごりした。それで廃棄されたんだから、その残骸に未来があるわけない。
 みみっちい小者ばかりが集まってピーピー騒ぐ醜悪でみっともない姿に、みんな嫌悪を感じながら、ああ、やっぱり廃棄して良かった。何であんなのに政権とらせてみようなんて血迷ったんだろう? と思っている。

 もし、自民党に対抗できる意味のある野党が出るとしたら、欧州の国民戦線や、アメリカの茶会派といった、自民党より保守の側からかもしれない。
 頭が良く、行動力のある指導者がいて、真面目に地道な政治運動を根気よく続ければ、一定の力を持つ政党を作れる可能性がある。

 ただ、頭が良く、行動力があり、真面目な人材が、政治なんかに関わるかどうかは疑問だ。民主主義は馬鹿を相手におびただしく時間を浪費するものだから、その無駄に耐えなくてはならない。優秀な人が、例えば、立民の議員たちのような愚劣な者たちのために自分の人生を無駄にするという事だ。普通、願い下げだろう。
 民主主義は極めて生産性の低い制度なのだ。その生産性の低さに、自由が、そして、再帰的に民主主義が担保されているのかもしれないとも思うが、それを引き受けるにはそれ相当の覚悟が要る。