2018年5月3日木曜日

理想だね、じゃあ、それは後にしよう

 平和は、残念ながら、いまだ理想でしかないという事でしりぞけ、順位を下げられる課題だ。
 和平ムードが大々的に演出されている朝鮮半島情勢の今後は、まだわからないが、もし、危機がもうなくなったとしても、二度と危機が発生しないと考える根拠はなく、危機がありえると考える根拠はある。
 日本は北朝鮮による核攻撃の危機にさらされた。そして、その時、現在の状態では領土も国民も守りきれない事がはっきりした。これは、日本が国を守るのに必要な法整備すら出来ていない事そのものが、北朝鮮に好戦的な挑発という冒険の動機のひとつになった可能性を示唆している。
 北朝鮮は、国の状態からすれば異常な軍事力を保持し、韓国と日本を脅威にさらした。そして、その行動によって長年希望し続けた米朝会談を実現させようとしている。
 北朝鮮は軍事力を誇示し、戦争をちらつかせる外交で望んだ結果を手にした。
 こんな事を許した一因が、法整備も含めた総合的な日本の防衛力の不備であるなら、すぐにでも改め、日本は自国を守れる国にならなくてはならない。
 戦争を抑止し、当面の平和を維持するには、きちんとした軍備を持ち、法整備などの運用を整えていなくてはならない。
 平和が理想の課題から現実的な課題となり、しりぞけられなくなった暁には、事態はまったく違って来る。
 だが、それまでは、平和への道は、軍事による抑止で固められて行くしかない。

 理想以上ではないものを振りかざして、現状、現実をしりぞけようとするのは小児的な異常行動だ。この異常行動は、全体主義という荒廃をもたらす。理想もまた危険であるほど、人間はやっかいで愚かなのだ。