2018年4月4日水曜日

エイプリルフールを侮ったダサい奴に天罰下る

 エイプリルフールの嘘は難しいのに、テスラのマスク、やらかしちゃったみたいだね。
 ま、マスク、冗談のセンスがなかったというだけの話だけど。それで株価が暴落したんだってね。
 他人事だから言うけど、ザマ見ろー。やーい。








2018年4月1日日曜日

嘘ひとつつくのも難しい

 今日は子供の頃に賢明に嘘をつこうと頭をひねった日だ。
 しかしながら、成功した試しがない。
 そこで敗北主義に陥ったか、いつしか、いい嘘を考えるのをやめてしまった。

 




2018年3月31日土曜日

2018年3月30日金曜日

環境派

 アレだろ。エコロって、嘘ばっか言ってる狂信者の事だろ?







現在の不思議

 ロシアは西ヨーロッパを狙って軍隊の最新鋭化に取り組み、成功した。
 イランの核武装に、サウジは対抗しないわけにはいかない。ロシアの力で持ち直したアサドのシリアはどうするかな。
 中東の核武装が始まる可能性が高い。
 支那は経済崩壊が言われている。今までも、そういう言説はあったけど、感情的な議論だったり、支那嫌いの人に売らんかなで信憑性に疑問があった。でも、誰でも、支那のバブルが弾ける日が来るのはわかっている。問題はいつかという事であり、これまでの言説は希望的観測として、明日にも崩壊すると言い募ってきたところに問題があった。
 影の銀行や幽霊都市、発展の裏の凄まじい負債、腐敗、隠蔽、絶望的な格差拡大・・・支那はあまりにも多くの問題をかかえている上に、解決の可能性が見えないどころか、人口の多さといった条件によって問題の表面化に時間がかかるため手を打とうとした時には、収集がつかなくなっている。
 習近平が「習語録」などを出しているのは、毛沢東の亡霊を地獄に封じ込めるための呪いだが、二度とあの時代に戻らないという決意は国家的合意だと推測される。
 今後の難局に立ち向かうには習のような人間が必要かもしれないが、それが支那や世界にとって幸せかどうかはわからない。

 みんな、つまらない事に血道を上げてるなぁ。




2018年3月26日月曜日

世界遺産にしたらぁ

 あのさ、文化大革命の虐殺と蛮行に比べたら、天安門事件なんてお子様だろうよ。




2018年3月25日日曜日

引き寄せも強引だし・・・

 潜在意識が幸運を引き寄せるって・・・おめえの意識、全部外に出てて、潜在なんかしてねえじゃねえか。意識の露天掘りって言うか、馬鹿丸出し。昔っからさ。





2018年3月20日火曜日

私たちはリスクと共に生きるしかない

 リスク論から見ると、福島原発事故以後の脱原発派の考え方とリーマン・ショックはよく似ている。
 まず、福島原発事故以前から見ると、原子力行政のあり方として、リスクに対する説明責任を果たしているとは言い難いようだが、しかし、リスクについて説明しようとすると、リスクという言葉だけで噛み付いてくる活動家が説明会に入り込む状態があり、冷静で客観的な説明が行える環境がなかったという事がひとつありそうだ。そういう前提があって、事故が起きた時、それ見た事かとばかりに反原発=脱原発の異常な感情論が吹き荒れる事態となった。
 そうして、日本中の原発が停止する事態となったわけだが、これで原発のリスクは極小化された(このままで行けば廃炉のリスクがあるわけだから、リスクがなくなったわけではない)。
 脱原発派は、原発を止めてさえいればリスクがないものと思い、原発再稼働にだけ警戒している。
 だが、原発を止めはしたが、発電は続けなければならないので、化石燃料による火力発電のリスクは高まった。また、太陽光発電などの、持続可能性に疑問のある発電のリスクもある。そして、もうひとつ、電力不足が起きるリスクも高まっている。

 リーマン・ショックの原因をクレジット・デフォルト・スワップだとする意見がある。クレジット・デフォルト・スワップというのは、単純化して言えば、デフォルト(債務不履行)のリスクをスワップ(多数で持ち合う)する事でリスクを細分化する金融取引だが、これによって、リスクがないものであるかのような誤解が生まれてしまった。
 リスクを排除しようとした結果、リスクは見えない所に追いやられはしたが、なくなりはしなかったわけだ。それでも、リスクが見えなくなったので投機は膨らんで行った。
 可能性の低いリスクをテールリスクと言うが、市場が膨張しきった時、このリスクが、つまり、低い可能性が現実になった。今では、これをブラック・スワン・イベントと言うが、それが起きた。
 童話だったら、身の程知らずにもリスク・フリーを望んだ結果、想像もつかなかったリスクに復讐されてしまいましたという教訓で終わる。
 めでたし、めでたし・・・とはならないこの教訓から、私たちは、リスクが消えてしまうものではないという認識を引き出す事が出来る。リスク・フリーなど幻だ。夢想するだけ有害だ。
 つまり、私たちはリスクと共に生きるしかない。
 どういうリターンにはどういうリスクがトレードオフになっているか冷静に考え、意思決定しなければならない。ここでは感情を無視しなければならない。
 電力に戻ると、福島第1原発の事故で死者は出ていない。脱原発派の人々が望んでやまない子供への影響も出ていない。一時はそこらでやたらと売られていた線量計が姿を消したのは、もう線量計を持って計って回る人がいないという事だろう。ツチノコと一緒で、殺人的な放射線など観察される場所はなかったのだ。
 今、日本は世界一の石炭輸入国だが、火力発電のリスク。自然の景観を破壊して建設され、メンテナンス、将来の撤去など考慮されていないという意味で持続可能性に問題のあるソーラー発電システムのリスク。そして、需要量が供給量を上回るリスクなどを考え、原子力発電とじっくり比べて見る必要がある。
 相対的な安全はあるが、絶対的な安心などどこにもない。その前提に立って考える事が出来なければ考えた事になどならない。
 無責任な脱原発派は、もう退場しか残されていない。







2018年3月19日月曜日

音楽の老化

 最近(と言っても、若い人よりもかなり前から最近の期間内に入っているが)の大衆音楽は、演奏の部分を全部サンプラーやシンセサイザー、つまり打ち込みというヤツでやってしまって、歌だけを人間がやっているものばかりだ。その理由は、低予算で録音が上がるからだ。
 そのつもりで聞いていると、打ち込みの演奏がかなり聞き分けできるようになる。そして、それは、まず、つまらない。呼吸のない演奏だ。聞いていて苦痛になる。
 安上がりだからと、こんなものを提供されてはたまらない。これは、そう、例えれば百均音楽だ。
 本物の百均はよく行くし、なかなか役に立つけれど、百均音楽なんて言うと、百均から苦情が来るかもしれないと、少し危惧してしまうほど百均音楽はカスだ。あれじゃ歌手も可哀想だと思う。

 昔から、あそこのバンドは本当はスタジオ・ミュージシャンがレコーディングしているとか、そういう話はあった。それも、レコーディングを手っ取り早く、安上がりにすませるためのやり方だった。でも、全部が全部そうではなく、そういう事もあるという範囲の話だった。

 今の打ち込みは違う。システムになっているから、歌わないミュージシャンはライブ要員でしかない。人によってはライブも録音を使うから、そういう人の場合、ミュージシャンは大道具の一種だ。舞台にギターアンプを壁のように並べるなんて事する人たちがいるが、あれ、あそこから音が出てるんじゃなくて、虚仮威しの大道具だ。演奏家たちも、それと同じ扱いだったりしているわけだ。

 そういうところからも、音楽はどんどんつまらなくなっている。俺は昔(と言っても、最近の定義からして、若い人には大昔とか古代のように感じられるかもしれない)のを聞いてればいいからいいが、若い人は可哀想だと思う。









後に何かあるわけじゃないが、今、これが終わるのは、それはそれで仕方がない

 財務省文書改ざん問題で野党が馬鹿だなと思うのは、すわ森友と、反射的に反安倍攻勢に出てしまった事だ。これで問題がわかっていないという事がバレてしまった。理解力がない。
 順番として、文書改ざんが確認された段階で、調査に加わり、問題の内容を把握し、処分と、再発防止のための立法を行うだけでいい。その手際が良ければ、地に落ちた信頼が回復し、次の選挙でも議席を伸ばす事が出来ただろう。もう、遅いけど。

 安倍政権は、問題を正確にとらえ、究明し、処分と再発防止のための法案を国会に提出する手順に入り、責任の所在を明らかにして、信頼の回復を待てばいい。今の事態の政局化した側面は瞬間風速に過ぎないから、責任を果たして行くうちに収まる程度のものだ。
 様々なデマや推測が乱れ飛んでいるが、その中に含まれている正確な情報も含めて、一切相手にする必要はない。そして、その段階になるまで、余計な事を言わず、黙って事態の究明に取り組めばいい。説明責任は、果たせるようになったら、責任ある説明をすればいいのであって、のべつまくなしに何か言わねばならないという事ではない。

 もちろん、支持率の低下など気にする必要はない。選挙時にどれだけ支持率が騒がれた事か、やるべき事をやっていれば、そんなものは変わる。

 メディアも野党も、急速に力を落としている。断末魔を見ている気がする。
 まあ、他人事だからどうだっていいが、この問題が最後っ屁になるようじゃ、みっともないぜと思う。本当にそうなったら、少し笑う。







2018年3月17日土曜日

ま、政治の半分ぐらいは感情に左右されるんだろうね。馬鹿みたいだよな

 米朝(米朝はいい噺家だったけど、この米朝はアメリカと北朝鮮)会談は5月に予定されているけど、半島危機が去ったわけではない。
 こんな時に政局?

 森友、野党とマスコミがもの凄い時間(国民の時間=リソース)を使って何も出なかったけど、やっとこさ、役所のチンケな文書改ざんが出て来た。
 これは、誰がやったのか? どうしてやったのか? いつやったのか? 他にはないのか? といったあたりを追求し、再発防止を考えなくてはならない。
 経済データを改ざんされたりしたら、まともな政策決定は出来ないし、投資も出来ない。株式どころか、国債が売れなくなって、格付けが思いっきり下がるよ。財務省、何てことしてくれたんだ。
 そういう問題なのに、政局?

 財務省は、議会をナメて、コケにしたわけだけれど、野党は政権批判に終始している。役人が政権もコケにした可能性もあるのに、そんな事は考えもしないで、政権、いや、安倍首相個人の攻撃に走っている。血迷ってるよな。
 これは超党派で財務省、そして、他の全官庁の調査を行うと同時に、こんな事が起きないシステムを考えるのが筋だろう。

 野党も調査に参加すれば、安倍政権の指示があって改ざんが行われたかどうかはっきりさせられるんじゃないかね。そこに乗りもせず、誰も何もわからない状態のまま憶測で腹を探り合っていても何も解決しないのははっきりしている。

 事を明確にすれば、自ずと政局になるかもしれない。ともかく、役所の清掃が出来るのは確かだ。

 そういうまともな方向に行かないで、ただ感情的に騒ぐのは、馬鹿か、含む所があるか、両方なのか、なんて見方をするしかなくなる。自民党内で政局方向に動いている連中も同じだ。

 人の足を引っ張っても、全体が地盤沈下するだけで、今のザマをさらしている野党が政権取れるわけじゃないし、石破に支持が集まるわけでもないぜ。
 地盤沈下をしたら、相手にされず、力もなくなり、何も出来なくなるだけだ。
 それで嬉しいのは、支那と北朝鮮だけなんじゃないか?

 ええっ? これで政局ぅ!?

 おかしいだろ。困るなぁ、もう・・・・






谷岡郁子、ああいうクソババァが権力を持つのが日本の後進性だね

 谷岡郁子、ひどかったね。何だこの婆ぁと思ってネットで見たら、何だ元民主党じゃないか。それで脱原発派だって、ああ、やっぱりなという感じだ。
 教育で食ってきた一族の出で、至学館大学学長になったのは、その関係か、民主党文教族に文科省が忖度して、天下り手配係だったエロ官僚前川喜平(「文科省 天下り 風俗」で検索すると名前が出るよ)が、文科省のパワーで学長に据えたのかはわからないが、口のきき方ひとつ知らないのは、いや、まったく民主党くずれ丸出しだった。

 たいていの日本の政治家は口のきき方を知らないが、そろそろ直した方がいい。政治家になりますとなったら、しかるべきトレーナーについて、きちんとした喋り方、活舌、発声、冷静な対応方といった項目はクリアしてもらいたい。政治家はプロの口説の徒でなければならない。政治は言葉なのだ。だから、馬鹿げた失言、放言をする人は、それだけで政治家失格だと心得なくてはいけない。
 その意味で、与野党を問わず、ほとんどの政治家は失格で、壊滅状態と言っていい。恥を知れ。政治は権力を振り回すじゃなくて、立法サービスをする仕事なんだぜ。

 谷岡の婆さんは、何が言いたいのかわからない会見をしたけど、あのわからなさで教育に関係してもらいたくないね。あれで志学館を志望する若者が減ったんじゃないかね。もしかしたら、自分が目立ちたい一心でしゃしゃり出て来たのかもね。
 志学館に入ると、あの婆ぁの長話を聞かされるんだな。人の青春を無駄に遣い散らす婆ぁだ。学生が可哀想だ。





 


2018年3月13日火曜日

日々の散らかり

 香典返しでもらった紅茶に香りがなくサエない味なのでアールグレイを少し混ぜたら、そこそこ行けた。俺のすることなすこと、一々細かく文句を言うようになったというのは「ふられた気持ち」という曲の2番の歌詞の一節だけれど、夫婦だったらあたりまえの話で、どこにも面白いところも潤いもない。そんな事を大げさに歌う理由が理解しにくいが、プレスリーが歌ったくらいだから名曲なのは確かだ。

 確か、あの曲はフィル・スペクター、バリー・マン、シンシワ・ワイルが作ったものだ。後にマンとワイルは夫婦になり、スペクターは殺人犯となった。裁判で、スペクターは最後までジタバタしたが、ハゲだったのがバレただけで有罪となった。
 
 ティム・オブライエンは「チューリップ・オン・ザ・テーブル」という曲で女房はもう俺を愛してないとリフレインするけど、それもわざわざ言わなくてもいい、ありふれた話で、夫婦仲なんて良い方が珍しいんだ。
 話もしないとか、オブライエンは何を考えているんだと思う。女房の話なんか聞きたがる気持ちがわからない。何だろうね、そんなんでもってる所がアメリカの強さなのかね。
 でも、いい曲だ。









2018年3月12日月曜日

安全のために、安心してはいけないね

 アメリカは、北朝鮮から核が除去されればいいだけだ。それ以上踏み込むのは、コストに見合わないのだろう。核の除去だけで、当面の国益には十分なのだ。
 だが、万が一、北朝鮮から核が除去されたとしても、日本はそれですっかり安全になるわけではない。核が除去された分マシになるだけだ。万が一ね。
 日本人を拉致し、大量のスパイを日本に潜入させ、漁船を使って密漁、領海侵犯を繰り返す、無法な軍事国家は存続する。

 かつて、ソ連の崩壊後、テロリストがソ連軍の保持していた核兵器を入手する可能性が問題とされた事があった。
 北朝鮮は小さなテロ集団ではなく、国家だ。これがテロ犯罪者でもある。金正恩の父親、金正日はミャンマーで爆弾事件を起こしている。大韓航空機爆破テロ事件もあった。日本人、韓国人の拉致も誘拐テロだ。
 テロ国家北朝鮮が核爆弾を持った。そして、アメリカ本土を狙える核ミサイルを持とうとしている。
 アメリカにとって、これは大きな危機の芽であり、摘み取らねばならないものだろう。だが、アメリカの危機と日本の危機とは自ずと違いがある。
 北朝鮮が危機の元凶である点は一致している。大枠では、ここで互いの国益が一致し、共同歩調をとっている。
 しかし、核兵器やミサイルがなくても、北朝鮮というテロ国家は、隣にあるテロ国家として、日本にとっては大きな危険要因だ。

 原発や築地市場移転では、安全であるにもかかわらず、その安全を広報、周知すべき諸機関が、安全であるものを「安心ではない」と言って否定しようとした事があった。今も、やっている馬鹿どももいる。
 それが、今度は、万が一、アメリカの当面の国益の線に沿った妥協点として、北朝鮮が核ミサイル開発を断念し、核を放棄したとしたら、そこで「安心」感が醸成されるかもしれない。でも、北朝鮮が核を放棄しても、日本は「安心」できるほど安全ではない。

 米朝会談がどうなるかわからないけれど、どうなったとしても、日本の安全が確保されないのは確かな事だ。
 もしかしたら、「安心」を宣伝する者が出るかもしれない。正真正銘の馬鹿か、北朝鮮の手先だと見て間違いはないだろう。













文部省ダメだな。落第だ。

 レスリング協会、スポーツ庁の所管だけど、ダメだね。
 問題が起きた事、処理が出来ない事、運動選手上がりがやってるから、頭悪いと、誰しもが思ってしまう。
 確かにそれはそうだろうけど、コーチング、スポーツ医学、組織のマネージメント、ガバナンスの教育、訓練を受けていない人には、組織運営や管理なんか出来なくて当然だ。そこは所管しているスポーツ庁、つまり、文部省がやらせていなければならなかったところだ。
 この間の相撲協会も同じだ。相撲取り上がりに親方は出来ても、協会の運営なんかロクに出来ないに決まっている。
 文部省が表面つらの形ばかり作って、中身を作らないから、結局、後でロクでもない問題が起きる。
 本体に中身がなくて、後から、委員会だとか、何だとか、くっつけて盛っても、金ばかりかかって、現状維持しか出来ない。

 組織を運営するのに必要な人材は、選手上がりとは違う。文部省、大学教員や色々な団体への天下りの手配で手一杯で、そういう内容のある事は理解できないのだろうが、これからも問題起きるにきまっている。

 相撲が外人力士ばかりなのは、日本の若者に相撲協会がダメなのを感じ取られて、敬遠されてるからだ。他の競技も、相撲のように現状維持すら出来ない、縮小過程に入るような事態になりたくなければ、団体を身綺麗に、風通しのいいものにする必要がある。スポーツ庁なんてアテにならない。

 繰り返しておこう。
 スポーツ庁、文部省はダメだ。








2018年3月9日金曜日

Kaki King の Live at Berklee がいい

 久しぶりに Kaki King が聞きたくなり、スポティファイで探したら、聞いたことのない「Live at Berklee」 があったので聞いてみた。
 凄く良かった。才能のある人だとは思っていたけれど、どんな事をやろうとしているのか、うまく把握できないでいたのだけれど、ああ、これかと、明確になった。
 演奏の技量は並々ならないものがあったけれど、鋭利になり、緊張と集中にも素晴らしいものがある。
 音のイメージのつかまえ方、演奏への落とし込み方、演奏のどれをとっても妥協がない。お高くとまっているのではなくて、その純粋さゆえに、一切の通俗性から見事に無縁な音楽を作っている。
 了解のしやすさは通俗性を導入すると簡単に手に入るのだが、明確さだけを了解の手がかりにする事に成功している。
 お高くとまってはいるが、実際は通俗性を大量に密輸して成り立っている、「現代」やら「前衛」やらとはまったく別ものと言っていい。そのテの「現代」やら「前衛」やらは、第一次大戦の後あたりからこっち、同じ事をやってるだけだ。取り柄と言えば、間抜けな連中がありがたがりやすいような型があるという所だけだろう。ただし、この型は空手の型と違って、役に立つ事はない。

 もう、新しい音楽はほとんど聞かないんだけど、キングの音楽なら心からいいと思える。









2018年3月7日水曜日

間違いは正された方がいい

 日曜日、友達と話していて、昔々のベトナム反戦運動はひどいものだったねという話題になった。旧ソ連の情報工作があれほどうまく行った事はなかった。日本で共産党とつながっていたベ平連などが活躍していたが、アメリカ本国でも学生運動が注目を集めた。

 当時、ベトナムにベトコンを名乗る勢力がいる事になっていたが、実際に米軍と戦争していたのは、南に侵入した北ベトナム軍だった。ベトコンの実態は、北ベトナムが山岳少数民族などを武力で強制して作らせていた麻薬を米兵に売りつける販売ルートの与太者で、少数民族の女性を強姦して殺すなどといった行為ばかりしている者がほとんどだったという。
 北ベトナムの指導者だったホー・チ・ミンは、大東亜戦争中、工作員で、抗日運動をしていた事になっていたが、本当はアメリカの工作員だった。
 ベトナムは戦前はフランスの植民地だったが、日本軍の侵攻でベトナムから追い払われていた。戦後、その植民者たちはベトナムに戻ろうとしたが、ホーはフィリピンなみの属国という事で独立させてくれと、アメリカに交渉した。
 アメリカは、フランスの植民者たちの肩を持ち、ホーの願いを聞き入れなかった。フランス人たちが、戦時中の反独レジスタンスを担った勢力でもあったからで、戦前からのつきあいがあったためだった。
 そこで、ホーは、現地に残留した元日本兵と手を組み、軍事顧問にしてベトミン軍を作った。
 フランスはド・ゴールが帰国したが、ベトナムに派遣できる軍隊など存在しなかった。そこで、ベトナム植民者たちはドイツ軍を雇い、ベトナムに送り込んだ。
 ベトミンとフランス軍の戦いという事になっているが、北ベトナムが作られるまでのベトナム独立戦争は、ある意味で日独戦だった。
 この戦争で、ホー・チ・ミンは戦費を捻出するために山岳民族に麻薬を作らせていたが、フランス側は山岳民族に、ホーではなく、フランスに麻薬を売るよう働きかけた。山岳民族ホーを毛嫌いしたいたので、フランスの交渉に応じた。この麻薬は、フランスの情報機関の手でマルセイユに送られた上、アメリカに密輸された。これがフレンチ・コネクションだ。
 フランス人植民者たちの後、アメリカが乗り出した。旧日本兵は、北ベトナムの樹立後に、ほとんどが日本に帰還した。

 フランス人たちは、アルジェリアに行った。
 ド・ゴールは、ベトナム植民地の維持に興味を持たなかったようだが、それは、植民者が英米派であり、ド・ゴールは英米と不和だったためのようだ。ド・ゴールは英国に亡命していた時から、冷たくあしらわれていたのだ。
 植民者たちは戦時中、フランスのレジスタンスを担った勢力だったが、彼らは、戦前から英国が大陸に構築した対独諜報網の一部でもあり、必ずしもド・ゴールの亡命政府の指揮下にあったのではなかった。戦後、英米派の植民者とド・ゴールの間には対立が生まれた。
 ド・ゴールがアルジェリアを手放すと決めた背景にも、この英米派との対立があったかもしれない。英米派は何度かド・ゴール暗殺を試みている。
 ベトナムーーアルジェリア植民者たちは、ソ連がパレスチナ人テロリストやヨーロッパの極左組織を使って西欧社会を動揺させ、ヨーロッパ侵攻につなげようとした目論見を打ち砕く戦いを展開するが、それは後の話になる。

 ホー・チ・ミンの北ベトナムは対米戦争を行ったが、ソ連はこれを強力に後押しし、ソ連軍だけでなく、北朝鮮軍などもベトナムに派兵している。ベトナムで米ソの軍隊が直接交戦もしている。
 軍事だけで言えば、米軍が勝っていたといわれているが、ソ連は西側の自由主義諸国の弱い部分を突いた。自由だ。共産圏ではありえない報道の自由、政府批判の自由、表現の自由を使った工作を展開し、ベトナム反戦運動を盛り上げた。
 ベトナム戦争の前に、アメリカでは公民権運動があった。黒人の人種隔離を撤廃する運動だった。この公民権運動で力をつけたアメリカの左翼がベトナムの反戦運動を拡大させた。
 社会主義圏では、権力による社会の統制が厳しく行われていたから、根強い社会的差別、人権侵害、貧富の差、貧困、権力による様々な弾圧などの問題は、徹底的に隠ぺいされた。西側先進国とは比べものにならないほど共産圏は酷かったのが実際だったが、西側の左翼指導者たちは、そうした実情を知っていながら隠していた。この件は、後にフランスでミシェル・フーコーや新哲学派が追及するところとなった。 
 アメリカの反戦運動指導者たちは、米政府の手で秘密裏に警護されていた。政府機関員が反戦集団に潜入し、運動指導者たちの身辺を守っていた。キング牧師が殺された後の暴動の再発を恐れたのだろう。

 ベトナム戦争の後、周辺では一時、共産勢力が拡大し、その結果、中国の支援を受けたカンボジアでは、大虐殺が行われた。
 このキリング・フィールドと中国とベトナムの軍事衝突、ベトナムからのベトナム人難民の流出といった事が続き、アジアの共産化の流れが終わった。

 中国とベトナムが戦火を交えた中越戦争では、中国がベトナムを懲罰すると言って攻め込んだが、中国軍が正規軍でもない民兵に撃退されてしまった戦争だった。
 この時、中国軍は武器も持たせない歩兵を大規模に突撃させる、伝統的な戦術をとっていた。中国軍は、朝鮮戦争でもこれをやった。大東亜戦争当時、日本軍と戦った国民党軍も同じやり方をしていたというから、中国紅軍は国民党軍を見習ったのだろう。今の中国軍は、やっとこの古代的な戦術から脱却したようだ。

 ベトナム戦争後、南ベトナムに入った北ベトナム軍は、略奪を行い、南ベトナムを支配した。共産主義体制を逃れ、多くの南ベトナム人が難民となった。だが、海に出た難民の多くが海賊に襲撃され、殺された。
 日本にも、沢山のベトナム難民が来た。
 カンボジアの虐殺、中越戦争、ベトナム難民。ベトナム反戦運動を振り返って反省する機会は大きくこれだけあった。だが、ほとんど、何の反省もなく、あの馬鹿げた騒ぎが、何かいい事だったと思っている者たちは少なからずいる。

 ベトナム戦争時代に、西側での情報工作がうまくいったソ連は、イタリアの赤い旅団、ドイツのバーダー・マインホフ集団などを使ってテロを展開させた。その軍事訓練や武器供給を行ったのがPLOやPFLPのパレスチナのテロ組織だった。
 西側のテロ組織は誘拐や強盗で資金を稼ぎ、パレスチナから武器を買った。

 この左翼テロリストと戦ったのが、フランスではかつてのベトナムやアルジェリアの植民者の系統の勢力だった。英米は、戦後になってもこうした勢力を維持していた。

 ソ連は南米でも同じやり方をした。キューバを経由して南米左翼ゲリラに武器を売るなどの軍事サービスを提供した。南米の左翼ゲリラは資金調達のために誘拐ビジネスを行ったり、麻薬カルテルと連携したりした。麻薬カルテルが政府との戦闘を恐れないのはそのためだ。麻薬カルテルの警備を左翼ゲリラが行っているのだ。
 南米の麻薬はキューバに運ばれ、キューバから高速艇でアメリカに密輸される。「マイアミ・バイス」というテレビ・ドラマの背景にはこうした問題があった。また、映画「バッド・ボーイⅡ」では、主人公たちが、キューバに潜入して密輸犯と戦ったが、あの筋立ての土台はとても現実的だった。

 ベトナム反戦運動が盛んだった頃にマリファナやLSDといった薬物が流行したが、LSDの大きな供給元がCIAだったのは、今ではよく知られた話で、そこには別の問題があるが、まさにそうした薬物の幻覚に現を抜かした馬鹿どもが「ピース」などと戯言を口にしていた。
 しかし、麻薬と武器、そして、人身売買の流通は重なっている。平和を願う脳足りんの手元に薬物が届く道には、平和など程遠い悪が敷きつめられている。ベトナム反戦運動の「平和」は上っ面で軽薄なものであり、大きな戦争と暴力を、知能程度の低い情緒で取り繕った嘘でしかなかった。

 もう、耄碌してしまった団塊の人たちはしかたがないとして、嘘を真に受けてしまった若い人は、そろそろ目を覚まそうね。
 まだ寝言をほざいてる人には、
「ゴザ巻けや」
 とでも言ってあげましょう。

 ベトナム反戦運動の次に、ソ連が仕掛けた工作は、反核運動だった。今も日本で無根拠に原発を止めさせている反原発運動は、その流れを汲んでいる。
 ロシアも支那も原発をやめるなんて馬鹿な事してないのはもちろんだ。



 

2018年3月2日金曜日

脱原発なんて、逆立ちして世界を見るの、やめなよ

 日本は原発止めたままで電気自動車推進なんて、本末転倒ではないか。

 ドイツはフランスという原発大国が隣にいて、電気を売ってくれる状態で環境がどうのと言ってるんだから、土台がまったく違う。それに、東日本大震災前、メルケルさんは、原発推進に舵取りをする準備で、ロシア企業とドイツ企業を組ませていた。それが福島の原発事故で転換した。ドイツやスイスに電気を売っているフランスの経済もあるし、それはそれで受け入れ可能な選択だったという事でしかない。







2018年2月28日水曜日

宴は終わった

 邦題「恐るべき子供たち」、原語だと Les Enfants Terrible (アンファン・テリブル)は、日本の倉橋由美子が好きだったんだろう、パクってた記憶がある。
 倉橋由美子はどうでもいいが、北朝鮮の金正恩と金与正、アンファン・テリブルだよな。ジャン・コクトーの作品では、機関銃で銃殺なんて事はなかったけど、現実は小説を越えて残酷で陰惨だ。

 北朝鮮は現在実在する奴隷国家だが、共産主義はどこであっても、あんなようなものしか生み出さなかった。金王朝など、一刻も早く消滅する事が人類の進歩に決まっている。








2018年2月23日金曜日

書を捨てよ、二度と拾うな

 本屋に行かなくなった。行ってもつまらないからだ。棚に並んでいる本のほとんどは内容もなく、文章もひどいシロモノだ。これで金を取ろうなんて、出版社というのはどういう了見なんだろう?
 若者が本を読まないなんてあたりまえだ。手に取るに値しないものなど無視されて当然だ。質の低い商品を出しておいて、売れないのは消費者のせいだなどと言っていられると思うのは大きな間違いだ。
 もう少し言うと、若者ばかりではなく、今の年寄りたちも、ほとんどは本など読んでいなかった。購入し、置いておくだけで、読んだとみなされる知人の話を聞いてすましていた。その知人が同じ事をしていた場合、間違った知識が流布されていた。
 団塊の世代など、ほとんど読書などせず、漫画ばかり読んでいた。粗製乱造された人たちだからしかたがないとも言える。哀れなものだ。あそこで、日本の知性も伝統も品格も、ほぼ断絶した。三島由紀夫が「断弦」と言ったのは、あの人たちの時代だ。
 彼らが、本当はほとんど本など読んでもいないのに、読んでいたつもりになって、若い人たちをけなしたり、脅したりするのは哀れではない。実に見下げ果てた振る舞いだ。
 大体、「本を読め」などと曖昧な事を口にする者は、問いただすと、10年も前に読んだ一冊の一節を後生大事に引用できたらいい方という程度で、実際は何も読んでいない場合が多い。その10年前の一冊も速読の本だったらいい方という体たらくだ。

 世界的に、読書などする人は極めて少ない。必要がある人だけだ。
 いや、今、量だけで言うなら、ネットで日々読んでいる文章はもの凄いものになっているはずだ。そして、メールやライン、SNSでの発信で、かつてないほどの文章を書いているだろう。内容も、表現も、おやおやと思うものも多いが、それだって新聞よりはマシだ。
 情報の発信や発言で、これまで特権的な位置にいた人の中には、この大衆化を嫌う人もいるようだが、それはその人が相手にされていない事のエビデンスでしかない。

 高木貞治の「解析概論」は名著だが、興味もない人は存在すら知らなくて当然だ。最近読んだ「データ・スマート」は面白かったが、これも読まない人の方が多いだろう。ロレッタ・ナポレオニの本は手当たり次第に読んでいて、今は新刊の「North Korea」にかかっているが、やはり知っている人しか読まないだろう。
 大学の先生などは、使いもしないのに、値段ばかり高い自著を学生に押しつけて、印税でセコい稼ぎをして来たが、そういうみかじめ料、もう田舎やくざでもやってないぜ。

 読書が趣味だから、邪魔だなと思いながら、いつまでも買っては読んでいるが、あまりお勧めはできない。本当に場所ふさぎだからだ。
 ここ数年、多くの本を読んできたに違いない知識人が、色んな所で馬鹿さらす姿を見るにつけ、知性と読書も関係がないと感じるようにもなった。間違って読書が趣味になってしまった人は、読み続ければいいが、それだけの事だ。





2018年2月20日火曜日

やっぱ整形は韓国かね

 金正恩の妹の金与正。アレで北朝鮮の整形の力一杯かな?

 金正恩の方は、段々と金日成に似て来てるけど・・・

2018年2月14日水曜日

北朝鮮工作員

 あの、東京だけど、2件知ってる。
 いっこは知り合いの親がやってたアパートに間借りしてた夫婦。北朝鮮のスパイだった。張り込みの警官が「怪しい者ではありません」と名刺をおいてったという。

 もういっこは、友達とかじゃないけど直接知ってる。

 自民党議員にも、官僚にも、スパイなんかいるだろ?

 情報はかなりモレモレじゃないかしらね。

 そういうのはある事で、どうってことないわけじゃないけど、許容というか、想定というか、その範囲内なら、普段は無視しといていい。

 現実は、ドラマとかよりもはるかにダラッとしてるんだよ。





2018年2月13日火曜日

『「反原発」異論』の吉本・長崎対談

 吉本隆明と長崎浩の対談は、長崎の

 巨大科学・技術がとめどなく「人間」を侵略していく現実に対しても、道徳的意味で抑制(節度)を利かせようとするくらいで・・・抑制になっていないのが現状であるわけです。抑制の方法論的追求が現在の課題のように思います。(長崎浩)

 という言葉で締めくくられる。これは長崎にとって切実な問題意識だろう。
 長崎は、吉本の「心的現象論」を

 人間身体に対するサイバネティックス。あるいは、いま認知心理学が「心」を機能主義的文法に置き換えることに熱中しています。広い意味で人間機械論の復興です。それにまた私の拡大解釈では、廣松歩さんのマルクス主義(社会理論)でも、自然主義=人間主義的な自然と人間の関係が「場の理論」に置き換えられるわけですね。
 そうしますと、吉本さんがなさっておられる心的領域のお仕事は、こういった機能主義的思考の出現の必然性を予感なさったうえで組み立てられているように思われ、そういう気持ちで読んできたのですが。(長崎浩)
と評価するが、これは、この問題意識から出ているのだろう。
 吉本はこの長崎の言葉を「過大評価」としつつ、

僕が〈心的現象〉に取り組むときに、漠然と想定していたのは、ソリッドな物質観があやふやになっていて、それと同時に人間とか主体という概念が危うくなっている。そういうときどうしたらそれを掴まえることができるかといったら、ある了解性の次元を排除して、ある次元を採用するという意味の選択を、いずれにしろ拒否するということが先ず最初にありました。それ以上には、現在についても将来の事象についても先取り的な意味を持っていたわけではないのです。(吉本隆明)
と答えている。また、この後で、

ぼく自身はマルクス主義はいかなる形をとっても生きられないだろう、しかしマルクスは生きられるという考え方をとってきました。それではマルクスの何が生きられるのか、といったとき、マルクスが哲学として生きられるのは自然哲学と自己疎外論である、それではどうしたらいいのかという問題意識で心的現象論を展開しました。そこで、どうしたら可能性をみつけることができるのか、どこで活体化できるのかを考えるとき、とにかく削らないことだと思ったのです。(吉本隆明)

  読んでいて、「心的現象論」のモチーフを再認識したり、「重層的な非決定」というのはそういう事かと納得したり、何度も立ち止まる。
 さすがに二人とも、いいことを沢山言っている。

人間が分子生物化学過程として、いくら解明されても、人間の総体には到達しない。マルクスの思想の場合でも、認識論的選択をした場合、同じことに陥ってしまうのではないかという気がするのです。(吉本隆明)

十九世紀の古典物理学が完成し、そこから方法論が抽出され、適用世界が必然的に人間的事象にまで拡大されていった。その結果、古い意味での人間主義や自然主義が否定されていき、物理学的な計算可能な概念への人間の再定義化がされるようになります。概念的整理がひとたびなされると、そのレベルで無限に方法を進めることができるわけですから、「人間」と「自然」に対する知的破壊作業が進んでいきます。そうみてくると機能主義は必然性をもった思考方法であるとは考えられます。しかし、同時に、再定義され消去された人間、自然の根拠に残るものに絶えず復讐される可能性をもった思考形態であるといえるように思います。(長崎浩)

 おそらく、反原発を主張している人たちには、この対談が「反原発」への異論として出されているという事が理解できないと思う。理解できるなら、反原発などに賛成したり、同調したり、運動に参加したりしないはずだからだ。
 そして、ここで話し合われている事の本質がわかる人の中で、しかるべき立場にいる人たちは、原発の制御、事故防止に向けての具体的な方策、つまり、技術的な裏付けのあるやり方に取り組んでいるだろう。
 恐怖に道徳を抱き合わせ、政治を盛って原発の再稼働を止める事が、巨大科学・技術に侵略された人間の衰弱した敗北主義だという事は言っておこう。
 彼らに理解はできないとは思うが。


: 敬称は、心が引き裂かれる思いで、あえて略した。




2018年2月11日日曜日

学校は社会の問題児なんだけど・・・

 後にスタンフォード監獄実験と呼ばれるようになった心理学の実験が行われた事がある。

 生徒を2つのグループに分け、それぞれ看守と受刑者の役を演じさせ、どうなって行くかを観察する実験だった。
 その結果、看守役の学生たちは、受刑者役の学生たちを虐待するようになって行った。
 実験を主催した教授までがその空気に支配され、暴走し、異常になって行くのを止めようとしなかったという。

 これは有名な実験で、アイヒマン実験と呼ばれる実験の一種に分類されるものだという。
 アイヒマン実験は平凡な市民が、一定の条件の下において非人道的な行為を行うという事を示したものだ。

 で、何が言いたいかというと、学校って、こういうアイヒマン実験の空間になってしまっている場合があるんじゃないのかという事だ。
 イジメなんか、その可能性がある。
 これは、そこらの教員には想定外だろうし、対応するどころか、呑まれている場合も多いだろう。

 学校で心理実験をやっているわけではないし、ナチスのアイヒマンと同列に論じられる事が理解できない人もいるだろう。
 だが、悪い人間ではないのに、生徒に暴力をふるったり、いじめを放置したり(いじめがあるのを知らなかったというのは、完全な言い訳だ)、いじめを助長したり、率先していじめを始めたり、生徒を虐待するといった行動をとる教員がいる事の説明は、アイヒマン実験から説明できる可能性がある。

 生徒にしても同じだ。悪い子ではないはずなのにイジメをするとしたら、その理由はこうした人間の危うい部分を見るしかないかもしれない。

 まあ、そういう事を考慮しながら教育のシステム設計をするなんて芸当が出来る者が、文部省や学校関係者にどれだけいるかわからないし、まったくいないかもしれないとも思うが、教員が刑事犯罪である暴力をふるった場合など、個人の責任を厳しく追求すべきであるのは当然の事として、それとは別に、システム・デザインについても、点検する必要がある。

 学校関係者が、自分たちはいい事をしているんだから、これでいいんだ、などといった意識を持ち続けている限り、学校は社会の問題児である事をやめないだろう。



 


アルマーニ、サカゼンであったっけ?

東京・銀座の中央区立泰明小学校がアルマーニの制服を決めたとかで話題になってるね」
「標準服とか言うんだろ。昔はなかったよな。で8万円という価格が問題になってるらしいね」
「小学生に制服って、泰明小学校は北朝鮮みたいだな」
「いや、標準服のある小学校は多いよ」
「日本の中の北朝鮮か・・・」
「嫌な文化だな」
「教育関係者、左翼が多いからな」
「学校が北朝鮮ぽくなるのは、最後の左翼が同じ所に行ってしまうという事か」
「文部省の利権を解体したら、そういう人たちも力をなくすね」
「しかし、金のかかる北朝鮮か。嫌な感じが倍増するな。標準服じゃなくて『ヒョジュン服』とか言うんじゃないか」
「校長が1人で決めて、父兄から批判が出ても辞めないって頑張ってる」
「教育システムが生んだ歪んだ人間だな。そういう奴が校長になりやすいのかね。和田利次校長って、こんなので頑張って、くだらなさしか感じられない
「アルマーニ着て、和田バッチつけた生徒が上級小学生で、着てない子は掃除当番ばかりさせられる下級生徒になる。泰明小学校の和田王朝が続く限り下級生徒は給食が食えない」
「小学校で核ミサイル開発したりしてな」
「ヒョジュン服バブルの頃なら行けたかもね」
「バブリ~! なんてやるわけか」






馬鹿な大人ほど英語で子供を苦しめる。だが、その前に、あんた訛ってるよ

 英会話って、普段、日本語でも話をしない奴が外国語だと突然喋りだすなんてありえない。女はおしゃべりだから、沈黙に耐えきれずに何とかしゃべろうとする。男女差という事で言えば、どっちが上達するかはっきりしている。
 外国語だと母語よりも性能が低下する。だから、外国語習得においても母語が豊かな人が圧倒的に有利だ。
 母語で話す内容のない奴が、外国語で言うべき事などない。英会話を勉強するなら、何かそれなりの内容のある事を喋り、聞き、会話をするのが目的なはずだが、母語でやっている事の何割減かになるのだから、ゼロに近い奴は、もっとゼロに近くなるだけだ。そういう人は無駄だから英会話など辞めた方がいい。もっと好きな事や楽しい事があるはずだ。
 また、文法が必要だとか、不要だとか、無意味で馬鹿をさらけ出した議論があるようだが、必要な人はとことん必要だし、そんなに必要のない人は少しだけ必要だというだけだ。文法は植民地教育の簡単のために作られたものだから、きちんとやっておいて損はないが、下層民と認知されるので良ければ、文法から外れて喋っていても、たいていは理解してもらえる。
 自分はどのレベルのどんな事をしたいのかで学習は大きく変わる。最低限でいいなら、今の日本の教育よりも、もっとうんと簡単にして、中学で現在形の普通文だけをやるぐらいでいい。後、辞書の引き方は教えた方がいい。
 つまり、英語圏に違法移民になって、何とか最底辺の仕事にありつける程度という事だ。
 もっと上の仕事につきたいなら、文法もきちんと学び、難しい文献も読みこなし、正しい発音でしゃべりと、かなり堅苦しい世界に生きなければならない。
 目的、つまりゴールもはっきりさせないで、闇雲にどう学習するかを議論するというのは、まったく馬鹿丸出しだし、無駄だし、でも、強引に結論を出し、子供にわけのわからない負担を強いる事になるから、やめた方がいい。
 母語で「喋れる」だの、「お声がけをさせていただく」だの、デタラメな日本語を使って生活しているのは親だが、そこはもう手の施しようがない。子供が外国語習得で会話を重視したいのなら、本来なら、母語の発音、イントネーションから学ばせなければならない。
 でも、学校教員できちんと日本語が話せる人はなかなかいない。なまっている人も多いし、イントネーションは酷いものだ。また、時たま、間違った言葉を使う人もけっこういた。
 という事で、教員の質から言って、母語の習得に問題がある以上、外国語学習には大きな壁がある。
 だから、多くを求めるのはやめて、旅行で使える程度のものを中心に教え、もっとやりたい子を邪魔しないようにだけすればいいんじゃないだろうか。もっとやる子は学校なんかではなく、塾で勉強するから、その邪魔をするなという事だ。





 
 

2018年2月10日土曜日

政治家ってなあサービス業だぜ。葬式まわりは業務外だけどね

 例えば選挙で自分の(あるいは、自分が支持する)所に票が入るのが民主主義で、自民党に票が入るのは民主主義ではないと考えているのが左翼や進歩派だ。そういう得手勝手な連中と話し合いなんか出来るわけがない。相手にしないで、民主主義の手続きに添って、選挙で殲滅するしかない。
 民主党政権後、そういう流れになって来たが、これは民主主義の危機ではなく、健全な民主主義の姿だ。多数決を「強行採決」と言い張るのも無視した方がいいのだから、多数派が多数決で立法を進め、どんどん政策を実現して行くべきだ。
 ただ、自民党にその能力があるかどうかは知らない。
 立法府の議員たちの立法能力が未知数というのがつらい現実だが、依頼心を捨て、役人に任せるのをやめないと、国民に見捨てられる。
 国会で野党の顔色を見ていればいい時代は過ぎた。国民の顔色をうかがう能力を持たないと、自民党も見捨てられる。
 自民党は立法サービスの質を高める余地をとても多く持っている。これが出来なければ、将来、別の保守政党に取って代わられる事になる。
 知らないよ。
 




お前、ヤな奴のままでいいよ。人間、そんなにいいもんじゃないから

 悪人がいい結果をもたらす事もあれば、善人がすべてを台無しにしてしまう事もある。
 物事、意図した通りの結果が出るなんて、あまりない。
 そこを単純に考えると、最悪の抑圧を生み出す。





非人道的行為

 屁をこいてから人工呼吸。

2018年2月9日金曜日

不老不死なんていらない

 不老不死って理想のように言うけど、今、近づいているのは、老不死だ。モウロクしてワケわからないで、ただ生きてるというか、死なないだけで存在する。残骸だ。
 自分がそうなる事を考えると心底恐ろしいが、様々な衰えを鑑みるにつけ、その恐ろしいありさまに近づいている。そして、ある時、一気に距離をつめるのだと思う。出来るうちに自死をと思わないでもないが、変死は色々とはた迷惑だ。
 死ぬまで元気というのが理想だという感じもあるが、武道の達人がボケても、技だけはサエているので、家族や弟子が往生しているという話をチラホラ聞いたりすると、そういう元気も困りものだと思う。
 うーん、まだらボケが来たら脳死って事にして、始末しちゃう・・・なんてわけにはいかないよな。

 で、介護施設の職員て、給料は安いし、もの凄いストレスにさらされてるし、体力的にも厳しいと聞いた。せめて給料を上げ、心のケアをしていかないと、必要な介護を担う人がいなくなってしまう。これは緊急の課題だ。





2018年2月6日火曜日

文春砲って、粗砲じゃねえか

 週刊誌なんて、元々、凄いゲスで下品で汚くて、商業主義のもので、読者の劣情を刺激して商売して来たんだから、音楽屋さんが1人引退したって、それは個人の問題だ。
 週刊誌そのものが売れなくなって消滅しても、同じような劣情商売は人間が下劣な面を持っているかぎりなくならない。
 文春の記事で小室氏が引退しようがどうしようが、文春は、はい下品です。おっしゃる通りの商売ですと開き直ったらそこでおしまいだ。そして、元々そういうものとして始まったものなのだから、問題は、その原点をきちんと守れているかどうか、ちゃんと下品かどうかしかない。
 で、何お上品ぶってんだよ、馬鹿。だから売れねえんじゃねえか。





2018年2月2日金曜日

ううっ、今日も寒い

 文在寅政権の韓国を見てて、民主党(民進・立民)政権が続かなくて良かったとつくづく思う。
 国会の中ではなく、外で運動でもやってればいい人たちだね。
 いや、それじゃ沖縄に行ったりするから、沖縄へのしわ寄せになってしまう。置き場所のない人たちだね。

民主党政権は国民の大失敗だった。小池百合子都政が都民の大失敗なのも同じだ。
 ふたつとも小沢一郎が絡んでいる。小沢一郎、いいかなと思った時期もあったけど、あれも疫病神だね。



低生産性の日々

 雪だというので気持ちも寒くなってしまい、つい、早寝をしてしまった。その結果、妙な時間に目が冷めてしまい、布団から出たらやはり寒く、外を見たら、雪は降ってないが、だからといって温かいわけではなく、お茶を呑み、グズグズと夜が更けて行くのを感じつつ、アガサ・クリスティーが朦朧とした感じを出すために、冒頭にダラダラした文を書いたのはどの作品だったか思い出せず、でも、あの雰囲気は少しチェスタトンぽいな、意図的なんだろうなとか余計な事を考えている。
 チェスタトンのブラウン神父シリーズ、最初の作品の冒頭は、リボンがかかった一枚の絵のリボンが解けて動き始めるイメージで、それは昔のハリウッド映画の始まりを想起するとわかりやすい・・・おっと、もうそんなの見たこともない人のが多いのかな・・・のだけれど、ともかく、とても美しいイメージが描かれている。
 チェスタトンの文章力でサラッと面白いイメージをえがかれて始まるなんて、やはりブラウン神父はいいな。




2018年2月1日木曜日

タンパ・レッドの言葉

自分にできることをやれ。できないことは、考えるな」

 タンパ・レッドが、アーサー・クルーダップに言った言葉。(ウィキペディアのアーサー・クルーダップの項参照)

 タンパ・レッドはボトル・ネック・ギター奏法の名手として名を馳せたブルース・マン。アーサー・クルーダップ(あだ名はビッグ・ボーイで、アーサー・ビッグ・ボーイ・クルーダップ(Arthur "Big Boy" Crudup)なんて呼ばれたりする)はエルビス・プレスリーが憧れたブルース・マンで、エルビスのデビュー曲の「ザッツ・オールライト」はクルーダップの曲だ。「ロックン・ロールの父」とも呼ばれたが、不遇で、農業労働者として働きながら音楽活動を続けた。
 エルビスは、自分がクルーダップの境地に達したら、誰も聞いた事もない音楽が作れるのにと言っていた。エルビスはクルーダップの曲を3曲もとりあげている。

 プレスリーのバックボーンはゴスペルとブルースで、プレスリーが出現しなかったら、アメリカ音楽はカントリー一色になっていて、ブルースなんて知られる事もなく消え去っていたかもしれない。人種差別団体のKKK団(クー・クラックス・クラン)が、黒人音楽を広めているプレスリーを狙った事もある。

 出来ない事をなくそうなんて考えずに、出来る事だけに集中しろというのは、とても現実的でいい教えだ。何でも出来るなんてのに意味はない。リソースをどこに振り向けるかの決断はとても重要だ。
 昔、学校で抱負をと聞かれたから、得意な学科をもっと伸ばしたいと言ったら、これとこれが成績悪いから、先にそれを何とかしろとダメ出しをされた。罠だった。言わせといてそりゃないだろ。中学生はうんざりした。人の気持ちを台無しにする教師はとても多かった。どうも、教員というと軽蔑してしまうのはそんな体験からだと思う。あいつら、きっとみんな日教組だな。

 タンパ・レッドはいい。出来る事に取り組むだけだって大変だ。出来ない事になんてかまっている余裕はない。苦労人の言葉だ。



2018年1月31日水曜日

やはり生産性は低い気がする

 1日、手間な事をやっていて、明日も続けなければならない。いや、明日で終わってくれればいいなというのは願望だった。
 ここを抜けられると、少し楽になるのだけれど、まだ抜けられるかどうかわからない。
 何の話か、人にはわからないだろうけど、ただの愚痴だからつまびらかにはしない。



2018年1月30日火曜日

生産性の低い月曜日

 昨日夜更かししたので、今日は寝坊してしまった。
 生産性、極めて低し・・・

 京大の風車技術の先生が、電力会社の送電網について頓珍漢な事を言ったのを朝日が取り上げて話題になっているのを知る。朝日新聞はもう最初から救いようがないが、京大の先生もダメっぽい。ガンバレー、みたいな・・・

 ブレンダ・リーから始めて、タミー・ワイネットの「スタンド・バイ・ユア・マン」を聞いた。ワイネットの曲は、映画「ブルース・ブラザーズ」で、カントリー音楽をからかう場面で使われていた。映画のあれはカントリー・ミュージシャンの方が面白がったんじゃないかと思う。
 ワイネットはすごく好きな歌手だ。もちろん、ブレンダ・リーも大好き。昨日はダスティー・スプリングフィールドを聞いていた。「Only want to be with you」や「You don't have to say you love me」なんかだ。「You don't have to say you love me」は、プレスリーも取り上げたあの曲、「When I say I needed you~」と始まるヤツ。邦題は「この胸のときめき」だったっけ? 元はカンツォーネで、男性歌手が歌ってるから、エルヴィスが歌う方が正解かもしれない。でも、最初にスプリングフィールドで聞いたから印象が強い。
 スプリングフィールドは、ただのポップス歌手ではなくて、リズム・アンド・ブルースなんかもよく歌っていた。ああ、007の「Look of love」なんかも歌ってる。あれは凄くいい。邦題は「恋の面影」。バカラックの曲だ。バカラックって、あの人が音楽を手がけると、映画が豪華になる作曲家だった。もうそういう人はいない。

 この冬は寒くて、着るものが欲しいんだけど、ネットで探して、ちょっといいかなと思った服が、次の日にはサイズがなくなっている。もう考えてちゃ買えないみたいだ。寒いせいで、衣類が売れているのかもしれない。

 ああ、ダラダラと書いてたら、明日になってしまった。ええと、まだ29日の設定です。よろしく。



2018年1月28日日曜日

『「反原発」異論』を読んでいる

 吉本さんの『「反原発」異論』を読んでいる。長崎浩さんとの対談からはじまって、つい全部読んでしまっている。
 前書きを副島隆彦氏が書いているが、太田龍もどきのヘタな陰謀論よりも、はるかにいい事を書いている。感情的な人のようだから、自分を抑えて冷静に思考を進める事を学ばないとすぐに限界が来るんじゃないかと思うけど、ともかく、ここではいい所を見せてくれた。
 この本で、「反原発」の背景にあるマルクス主義が主題で、マルクス主義がダメだという認識は吉本さんも、長崎さんも同じだ。その上で、人類と科学の関わりをかなりの所まで、つまり、ここから先はないかもしれないという所まで考え、話している。
 全学連や全共闘は、長崎さんより猿に近かったんじゃないかな。

 吉本さんは、マルクス主義を否定するけど、マルクスは否定しない。
 ロシアで革命が起き、途中からのこのこと帰国したレーニンが、革命指導部に背後から襲いかかり、革命を乗っ取った後、マルクス主義は革命思想の主流となった。
 それまではアナーキズムが革命思想の主流であり、マルクスは知らない人の方が多かったし、マルクスを知る人には、マルクスを嫌う人の方が多かった。
 マルクスは、身勝手で頑固で偏屈で、人を見下していたから、嫌われて当然だったと思うが、異常なところがあり、人望のないマルクスが、思想的にも孤立していたのは性格的な問題ではなく、やはり思想的に魅力がなかったからだと思うのだが、吉本さんは、その、革命思想の主流になる前の変人マルクスさんの思想を評価している。
 その評価というのは見かけより大きな事だと感じるのだけれど、今は謎と言うしかない。ここで妙にわかったふりをすると、底の浅さがバレる気がする。
 ただ、革命以前のマルクスさんなら、福島を「フクシマ」と表記して、何もないのに何事かありそうな演出をするたぐいの連中や、わけのわからない反原発派を吉本さんと同じように「恐怖を組織する」者たちと否定しただろうという気もする。おそらく、もっと凄まじい罵詈雑言を投げつけただろう。

 マルクス主義など、もうどうでもいいものだが、科学の問題は興味深い。そこは、後で、吉本・長崎対談について考えてみる事にする。




2018年1月25日木曜日

長崎浩なんて、誰も読まないかも

 西部邁が自殺したというので、ああ、ブントがまた一人死んだなと思ったら、長崎浩を思い出した。久しぶりに読んでみようと思い、吉本隆明の『「反原発」異論』を読み直しはじめた。それと『乱世の政治論 愚管抄を読む』も読んでみようと思っている。



2018年1月23日火曜日

今日は朝から雪かき

 Eva Cassidy と Chuck Brown のデュエットを聞く。やはりいい歌手だ。
 チャック・ブラウンも歌上手いけど、エヴァも負けていない。それに、2人とも歌の解釈が高度で重層的な音楽を作り出す人たちだ。そんな事もあって、いい共演になっている。
 朝から雪かきで節々が痛むところを、楽にしてくれて感謝した。



アルバム名:
The Other Side

曲名:
    Let The Good Times Roll
    Fever
    You Don't Know Me
    I Could Have Told You So
    Gee baby, Ain't Good To You
    I'll Go Crazy
    You Don't Know What Love Is
    Drown In My Own Tears
    God Blues The Child
    Red Top
    Dark End Of The Street
    The Shadow Of Your Smile
    Over The Rainbow
    You're Changed


2018年1月20日土曜日

看護婦、いや、もとい、看護師

「看護婦と女房、どっちがいい?」
「考えるまでもなく、答えは決まっている。いや、これは先に答えの決まっている質問で、誘導尋問だ」





条約

「誰か、韓国は約束なんか守らないぞって、北朝鮮に教えてやれよ」
「大丈夫だろ。北が守るわけじゃないから」



フィンちゃん、またね

 ICANという、通信講座みたいな名前の団体のフィンさん、日本に来たけど、ウチの方でも前に佐藤栄作という人が同じ平和賞もらったんですよ。ええ、それで、日本は基本的にはその政策を受け継いでね、ここまでやって来たんです。はい。
 基本的にというのは、大体、自民党政権だという意味です。時々、間違って左翼が政権につきますがね、それが無能だし馬鹿ばかりで困ったもんなんです。おや、愚痴になってしまいましたね。
 とにかく、お互いに平和を望む者同士、また、ノーベル平和賞をもらった者と、その後輩という間柄です。仲良くしましょう。これからはフィンちゃんと呼ばせていただきます。
 あ、もうお帰りですか。それでは、さようなら。



2018年1月19日金曜日

頑張っても無駄かも・・・

 差別はどこの国、地域にもあるが、そのように一般化しないで言うならば、旧社会主義圏には、古い型の差別が強く固定されていた。これは統治のために意図的に放置したのかもしれないし、社会主義では差別などないという事にしてしまったために無理やり無いフリを続けたため、かえって酷い形で野放しになっていたのかもしれない、もしかしたら、近隣への侵略的な意図があって、軍事行動への共感を醸成するために政治的に差別の固定を計っていたなんて事もありえる。
 もちろん、各国の共産党の考えはソビエト・ロシアの共産党が、このように考えろと指示した通りの統制された思考だったので、ソ連には差別などないという隠蔽に、世界中の共産党が協力した。こうした画一性、宣伝を事実の上に置く党派的思考、嘘と隠蔽は共産党の体質と言っていい。その意味で、新左翼も共産党と同じ体質だったから、彼らの存在にたいした意味はなかった。
 そういう次第で、共産主義には差別が組み込まれている。
 現在、支那や北朝鮮では強い差別意識が政治的に醸成されていると考えていい。
 日本で言うなら、デタラメな反原発のために福島や福島の人々の差別を作り出したのは、それに近い人々を含めて、共産主義のやり口そのものだった。

 さて、もっと一般的な差別、誤解を恐れずに言うならば「自然」な差別(やはり少し恐れて言葉を足そう。差別する事が自然というのではなくて、どこにでもあるようなものとして歴史的に一定に定着した差別)は、相対的なものであり、流動的なものでもある。
 これは差別が社会的なものだからそうなる。何となく差別が普及し、何となく続く。常識というか、空気というか、コードというか、サブカルチャーというか、そういうものとしてある差別だ。
 こういうものを扱うのは難しい。どうしてかというと、よくわからないからだ。
 いつ始まったのか、なぜなのか、なぜなくならないのか、あるいは、なぜなくなるのか、全部わからない。色々と説明はあるが、これといったものはない。
 酷いのになると、日本人は差別が好きな、差別的だからだという乱暴な話まであった。これは支那の事例を出せばすぐに粉々になってしまう阿呆な言説で、左翼らしい、まったく話にならないしろものだった。そんな事で差別がなくなるなら誰も苦労はしないよ。苦労を知らない人は物事を台無しにするもんだな。
 なぜわからないかというと、ひとつには、差別をなくす事に性急で、そのための議論として語られるばかりという事情もあった。その型の議論だと、結論が先に決まっているようなものだから、発展などする余地はなかった。
 差別をなくそうという党派性が、かえって議論の深化を阻害したわけだ。
 また、問題が問題なだけに、今、そこにいる人が傷ついてしまう可能性があり、とりあつかいに神経を使わなければならない。そういう事も含めて、面倒臭いし、近寄らないのが一番だという、当然の判断があって問題が放置されたという事もある。
 差別は社会的なものだが、社会運動によってなくせるものかどうかはわからない。多くの人が、差別は嫌だな、なくなるといいなと思っているが、すぐにはなくならない。それは差別が無意識のものでもあるからだろうと思える。
 無意識と言えば、「差別は悪い事だ」と思う人がいるとする。これはあたりまえの話だ。そして、「悪い事だから、自分はしない」と考えるとする。これも気持ちとしては理解できる。だが、「だから、自分はしていない」と思い込むようになると、待てよ、浅すぎるだろうと言うしかなくなる。
 教員なんかにも、こういう人はよくいるが、社会運動をやっている人にも、この手がいる。無意識という事がわかってない。あまりにも簡単に考えている。で、それはソ連の嘘と一緒の運命をたどる。その人が意識せずに差別していた場合、それをなくすのは大変な骨折りになる。まず、ないはずのものがあるという所から始めなければならないのだ。こういう人によって、ゴールは余計に遠くなってしまう。
 文化を歌舞音曲だなどととらえていたら大間違いだ。階層的に歌舞音曲となって表出もするが、文化というのは、その社会なり共同体の成員の無意識としてある共通の感覚のようなものと、とりあえず比喩的にしか指し示せないもののようだ。
 差別は、かなりいい加減なものだが、意図的になくす事が出来るかどうかはわからない。そういうものだと考えるしかなさそうだ。
 だから、ほかの社会問題と同じく、政治的に、つまり、力で解決しようとしても効果は見込めない。社会問題を解決すると触れ込むたぐいの政治家は絶対に認めないだろうが、政治の効果は極めて限定的だ(政治に過大な期待をするのは後進性の現れだから、そろそろやめるべきだというのは、こういう理由だ。しかも、過大な期待を温存する後進性は、同時に利権などが絡む場所でもある)。しかも、日本では、共産党系、社民党系、新旧民進党系の政治家や活動家が生産的な結果をもたす能力がない事ははっきししている。
つまり、リベラルと目される人々にはほぼ何もできない。
 だが、本質的にあまり関係ない、そうした動向とは別のところで、今ある差別は、いつか、いつの間にか、何となく、よくわからない形で消滅するのではないかと思う。ひどく時間がかかるという大きな欠点はあるにしても、問題はこの形でしか解決しないのではないかと思える。



2018年1月18日木曜日

ジョン・オーツに舌を巻く

 John Oates の Bluesville Sessions を聞いて、完璧と言える出来栄えに舌を巻いた。ホール・アンド・オーツは好きなグループではあったが、それほど気にした事はなかった。若くはなくなってもハードロックばかり好きだったせいだと思う。
 それが、Bluesvills Sessions というアルバムタイトルに惹かれて聞いてみたら、負けた。
 Serchin' こう来るかぁ・・・All Shook Up 、来たぁ・・・
 解釈が面白くていいし、演奏力に問題があるはずはないし、凄いと言うしかない。
 で、つい、エルビスの All Shook Up 聞いて、やっぱ凄いと、もう一度尊敬したりした。

 ホール・アンド・オーツ、気にしてなかったって、俺、やっぱ、しみじみ浅かった・・・


アルバム名:
Bluesville Sessions

 曲名:
 Mississippi Mile
 Searchin'
 Come Back Baby
 It's Alright
 All Shook Up
 Please Send Me Someone To Love
 Something You Got
 Deep River
 Sittin' On Top Of The World
 He Was A Friend Of Mine
 Dance Hall Girls
 Maneater

嫌な感じ

 黒塗りで物議をかもし、ダウンタウンは美味しい思いをしているけど、騒いでる人たちは、文化的文脈を理解していない感じがあるな、おやおやといったところから、段々とおかしくなって来て、硬直した普遍主義を振り回し抑圧的に振る舞いはじめているように見える。
 そういうのは嫌な感じしかないなぁ・・・





いくつかの記事を追記しました

 ここのところのアップで、バンドの事を書いてましたが、バンド名だけじゃ素っ気なさすぎるので、アルバム名と曲名を追加しました。



The Jive Aces

アルバム名:
 Amazing Adventure
 It's Skiffle Time
 King of the Swingers


 :It's Skiffle Time
  曲名:
  Mama Don't Allow
  Uklele Swing
  I'm Satisfied With My Gal
  Mr. Sandman
  Get Me to the Church On Time



Earl Seratte & The Blues Kings

アルバム名:
 Verite

  曲名:
  Why Don't You Love Me
  She Walks Right In
  Walkin' In Your Sleep
  That Girl
  Complicated
  4:59 In The Morning
  Just A Little Bit
  Bendin' Like A Willow Tree
  Walking By Myself
  Keep On Movin'
  Don't Drink The Water



The Dixie Tabernacle

アルバム名:
 Nashville Swamp

  曲名:
  Sixty Five Days
  Taht Aint Right
  Aint Living Long Like This
  Supply and Demand
  Shake a Log Mama
  Something Else I Don't Need
  Creeper (a True Story)
  Waiting On You
  North Little Rock Blues
  It Was All a Lie
  The Long Goodbye




2018年1月17日水曜日

The Jive Aces もいいよ

  T Rex 以後の英国の音楽はあまり聞かないのだけれど、もちろん、いくつかの例外はあって、The Jive Aces はよく聞く。何だか、ポピュラー音楽の老人市場にぴったりはまってる気がするけど、しかたがない。ウインウッドとクラプトンのマディソンスクエア・ガーデンのライブを聞いて、ああ、ブラインド・フェイスよりいいかもなんて感想を持つんだから、マーケターの狙い通りに反応しているのは確かなんで、どうしようもない。
 で、The Jive Aces もいいよ。



以下のアルバムを聞きました。(2018/1/18 追加)
アルバム名:
Amazing Adventure
It's Skiffle Time
King of the Swingers

曲名が多くなるので、曲数が少ない、そして、「時間通りに俺を教会に連れて行ってくれ」という、大好きな曲が入っているという2つの理由で It's Skiffle Time というアルバムの曲だけを紹介します。「Get Me to the Church On Time」は「マイ・フェア・レディ」というミュージカルの中の曲です。

Mama Don't Allow
Uklele Swing
I'm Satisfied With My Gal
Mr. Sandman
Get Me to the Church On Time

2018年1月16日火曜日

Earl Seratte & The Blues Kings いいよ



 Earl Seratte & The Blues Kings。
 名前の通りブルースバンドで、昔風に言うならブルーアイド・ブルースとなるのかな? ポリコレだとどう言うか知らない。要するに白人バンド。いいです。

以下のアルバムを聞きました。(2018/1/18 追加)
アルバム名:
Verite
曲名:
Why Don't You Love Me
She Walks Right In
Walkin' In Your Sleep
That Girl
Complicated
4:59 In The Morning
Just A Little Bit
Bendin' Like A Willow Tree
Walking By Myself
Keep On Movin'
Don't Drink The Water





2018年1月15日月曜日

The Dixie Tabernacle がいい

 The Dixie Tabernacle というバンドがとてもいいのだけれど、CDが売られていない。スポティファイにも登録がない・・・バンド名は、南部の幕屋という意味になるのだろうか、音楽は、おそらくスワンプ・ロックというのだろう、素敵なブルース・ロックだ。


以下のアルバムを聞きました。(2018/1/18 追加)

アルバム名:
Nashville Swamp

曲名:
Sixty Five Days
Taht Aint Right
Aint Living Long Like This
Supply and Demand
Shake a Log Mama
Something Else I Don't Need
Creeper (a True Story)
Waiting On You
North Little Rock Blues
It Was All a Lie
The Long Goodbye

2018年1月11日木曜日

しかたがない。来るなら戦おう

 北朝鮮か支那が(もしかしたらロシアもかな)日本を攻撃し、攻め込んで来たら降伏するとか、逃げるとか言っている人がいるようだ。考えてみよう。

 北朝鮮、支那、ロシアの軍隊の場合、略奪、強姦、虐殺といった事が行われる可能性が極めて高い。おそらく、やると考えておくべきだ。また、降伏を受け入れず、攻撃を行う可能性もわりとある。ロシアなどは、シリアでの行動をリファレンスすると、非戦闘員と戦闘員の区別はしない。
 つまり、降伏すれば、運良くそれが受け入れられた場合でも、略奪、強姦、虐殺の憂き目にあう。女性や子供の場合、さらに人身売買の商品にされる可能性がある事もつけくわえておく。

 つまり、降伏するよりは戦う方が生き延びる確率は高い。

 次に、逃げるという選択だが、戦う事に退却は含まれているのでそこは除外して、ただ逃げるという選択を考える。
 いつ逃げるかによるが、攻め込まれた時点で逃げる事を選択したとすると、相当な資金を持っていなければ逃げられないだろう。円が下落していた場合、別の通貨か金、あるいはダイヤモンドといった物が必要になる。
 つまり、金があるなら逃亡は選択肢になりえる。
 で、飛行機に乗れた場合はいいかもしれないが、船しかなかった場合、太平洋横断をしなければならない。翻訳でいいからレヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』の最初の方を読むと、たかが大西洋を渡ってアメリカに行くだけで大変な思いをしている。船は考えない方がいい。
 さて、飛行機で逃げられる人は逃げればいいが、おそらく庶民は飛行機に乗れないだろう。つまり、逃亡という選択肢は狭き門なのでこっちが選択しても、弾かれてしまう可能性が高い。

 生き延びたければ戦うしかない。
 これは好戦的とか違うとか、そういう問題ではない。選択の余地などないという事だ。
 危機になると韓国の金持ちは子供をアメリカに留学させるという。北朝鮮軍の虐殺を恐れての事だろう。
 今の危機を危機と感じ、選択できるうちに逃亡を選択したいなら、日本で発言などしていないで、さっさとどこかに行ってしまう事だ。
 日本にいて、逃げるだの降伏するだのと言っているのは、結局、意匠でしかない(ここで、意匠はかつての小林秀雄と同じ意味あいで言っている)。

 危機管理とは、今のうちに逃げてしまうといった事で、結果として危機が発生しなくても管理は成功したとなる。何かが起きてからドタバタともみ消しをはかるようなのは危機管理と言わない。何も起きないように、あらかじめ手配りをしておくのが危機管理であって、なかった事にするのではない。
 昔風に言うと、そこんとこよろしく。



2018年1月10日水曜日

北朝鮮選手団、素直にドーピング検査受けるかね

 平昌オリンピックに参加を巡って韓国と北朝鮮が会談やってるけど、あれってオリンピックと政治が一緒くただよな。
 まあ、構わないんだけどね。

 しかし、もう、韓国ってどうでもいいね。関わり合いにならない方がいいだけだね。



2018年1月8日月曜日

最近は放っておくんだけどね

 探検隊を捕まえた人食い人種が、探検隊を煮る鍋をかけた焚き火の周りで、槍を持って踊ってるのって好きだ。探検隊は、たいていイギリス人かフランス人だが、どちらが食通をうならせたかの記録は見た事がない。人食い人種のレポーターの女が、一口食ってすぐに「うーん」と無理に声を出し、「フランス人はまったりとしたコクがありますね」とか「英国人は食感ですね。とても歯ごたえがあります」とかやると、今のテレビになる。
 ところで、日本に一番近い人食いの食文化って、支那のものなんだよね。
 多文化って言うけど、この食文化も多様性に入るのかな?
 表面つら物分りの良さそうな顔してる奴ら、食われてもいいな。
 つまり、多様性なんか認めない人たちを、多様性の名で認めるというのは、矛盾でしかないけど、その矛盾を指摘する事を頑迷さの現れとして退けるのは知的な荒廃だという事で、つい、馬鹿は引っ込んでやがれと言ったりしてしまうが、それは一見上品そうなみかけで知的荒廃というか、知的認知症というか、薄らボケを誤魔化すのが見てられないからだ。
 これは多文化主義に限った事ではない。

些細な話なのだが

 お湯にうまいまずいがある。
 電子レンジで沸かしたお湯はまずい。
 電気ケトルのお湯もまずい。
 ガス台で沸かしたお湯はうまい。

 お茶やコーヒーを入れる時にはガス台で沸かしたお湯の方がおいしい。
 電気ケトル屋さんは、ただ水を高温にするだけでなく、おいしく沸かす機能を工夫したらいいと思う。



2018年1月6日土曜日

本質を欠く礼を何と表現するのだろうか?

` 池坊の膿婆ァが「礼」を欠いていると貴乃花を批難したそうだ。
 さて、どうだろうか?
 暴行があった。これは刑事事件だ。相撲協会の内規よりも法が優先されるべき事態だ。貴乃花は規範通りに行動した。
 貴乃花には、相撲協会に対する不審があった。暴行事件をうやむやにされてしまう危惧があった。そこで協会の手を触れさせない方向に持って行った。
 おかげで、私たちはその後の成り行きをかなり知る事が出来た。
 ここは強調しておきたい。貴乃花がああした行動に出なければ、事件そのものがなかった事にされた可能性すらあるからだ。
 そして、事態の推移から、相撲協会、危機管理委員会、そして、評議員会といったものが、気味悪く癒着している臭いを嗅いだ。
 貴乃花に対する処分は、貴乃花の危惧が当たっていた事を証明したと言える。

 池坊膿婆ァは、貴乃花が八角理事長からの電話に応答しなかった事を「著しく礼を欠いている」としているが、貴乃花はやり取りをすべて文書で行う事として証拠を残し、後で言った言わないの泥仕合になる事を避けた。
 貴乃花は相撲協会に不審を持っており、その不審を理由として危機管理委員会による弟子の聴取に応じない姿勢をとった。つまり対立があったわけだ。
 対立を前提としているのだから、貴乃花の行動は礼にかなっている。証拠の残らない所で脅しでもかけようとしたのか、安易に電話をかけてくる八角の方が礼を失しているのだ。
 また、大きく、貴乃花の行動は相撲に対する礼から一分も外れていない。それに比べて、相撲協会、危機管理委員会(しかし、笑わせる名称だ)、評議員会には、無理を通して道理を引っ込ませてでも現状を維持しようという欲があるだけだった。「礼」などとよくもまあ言ってのけたものだ。

 池坊膿子の言う「礼」というのは、形骸化して中身のない、その本質とは正反対で誠のないシロモノでしかない。
 何かね、池坊の流儀ってのは礼なんかどうでもいいのかね? たいしたもんだね。




2018年1月4日木曜日

池坊の糞ババァ、ウミを出すって、てめえが膿だぞ

 日馬富士の暴行事件から始まった相撲協会の騒動、貴乃花親方を理事解任したけど、相撲協会、腐りきってる感じがする。
 それと、危機管理委員会、何だか薄汚い。おまけに、あの池坊の婆ァ、ありゃとことん糞ババァだな。
 何だか、大好きな相撲、嫌いになっちゃって来たな。



四文字言葉 マルクス

 マルクス主義を信じる人たちは、1989年に最後のチャンスを得た。これはソビエト・ロシア崩壊おめでとうの200%引きバーゲンと言うべき大サービスだった。だが、それで反省し、マルクス主義を捨てなかった人たちがいた。検証能力がなく、また怠惰、かつ鈍感、あるいは単に頭がおかしかったのだろう。
 ソビエト・ロシアでも、支那でも、東欧でも、北朝鮮でも、マルクス主義が人に強制と暴力と死と不幸をもたらす厄災であり、しかも、それが好転する見込みはまったくないという事実は明らかだったのに、何も感じない人たちがいた。
 マルクス主義とその影響下にとどまった人はまったくの馬鹿か、人類に害を及ぼしたい悪意の人か、とにかく異常者だと判断する以外にない。
 マルクス主義は出来もしない事を出来ると思い込み、あげくに失敗に失敗を重ね、歴史を後退させ続けた。マルクス主義を信じる人、何となくいいと思っている人たち、つまり、そのシンパもふくめた左翼は、今にいたるもせっせと人類の足を引っ張ろうとしている。まったくタチが悪い。
 まあ、それ以外、マルクス主義に出る幕はないのだから自然の成り行きではあるが、邪魔だし、困ったものだが、社会主義国ではないので、収容所に入れたり、殺してしまったりするわけにはいかないので、困り続けるしかないのだろう。
 今、日本で停滞していたり、形式主義だったり、不効率だったり、統制的だったり、風通しが悪いのは、左翼が浸透した部分だ。役所などにはけっこういる。
 そういう部分を見て、それを「日本的」だとか、「社会主義」だとか言う人がいる。
「社会主義」であるのは、左翼が浸透した部分だからその通りなのだが、それを「日本的」だと言うのは誤解だ。それはシロアリの巣を見て、それを家だと思うのと同じだからだ。
 シロアリの巣などどしどし駆除した方がいいのだが、シロアリというのは例えで、本当は人間なので乱暴は出来ない。まったくやっかいなのだ。
 ここでは、投票による多数決という民主主義を毛嫌いするくせに、「民主的」とだけはやたらと口にするリベラルや、過去にしがみつき、現在に背を向ける「進歩派」などもふくめて、左翼をマルクス主義に入れた上で言うが、少なくとも日本では、「マルクス」は四文字言葉だ。

2018年1月2日火曜日

small talk:2017年を振り返って

「めずらしく去年一年を振り返ってみた」
「そろそろお迎えが近いか・・・で、どうだった」
「一番感じるところがあったのは内山高志の引退だった」
「ボクシング選手だな」
「そうだ。長い間チャンピオンだったが、先一昨年(2015)、ジェスレル・コラレスというパナマの選手に負け、一昨(2016)年の再戦でも勝てず、去年(2017)に引退した」
「確か、そのコラレスという選手、一度計量に失敗するとか、この体たらくで大丈夫なのかという印象だったな」
「そうだ。だからまさか内山が負けるなんて誰も想定していなかった。内山はボクサーとして最高峰に立っていると誰もが感じていた。それまでの試合内容がずば抜けていたんだよ」
「コラレスとは格が違うと思っていたわけか」
「まさしくそうだ。だから負けた時、何が起きたのか、まったくわからなかった」
「それで、続けて同じ相手と再試合したんだな」
「再試合については、チャンピオンが挑戦者の国に来て試合をしたという点でコラレスは賞賛されていいと思う」
「何だか頼りないだけじゃなくて、いいところもあったわけだな。で、試合は」
「うん・・・コラレスは逃げ回るんだよ。内山がそれを追う。何も知らずに見ていたら、内山がチャンピオンだと思っても不思議ではないという内容だった」
「だが、追い詰めきれなかったのか」
「おそらく、追い詰めたと思った瞬間、相手の術中にはまっているという感じになるような相手だったんだと思う。内山もうかつには飛び込めなかったんだろう」
「逃げているのか誘っているのかわからないわけだ」
「俺たちからすればチャンピオンらしくない戦い方だが、あっさりと否定されてしまったね」
「弱い選手というわけではないんだろ」
「当然だ。今はもうチャンピオンではないが、内山以外にも防衛している」
「だが、横綱相撲ではなく、実を取る戦い方をするわけか」
「そうだ。例えて言えば、内山は最強の正規軍でコラレスは中南米のゲリラだった」
「非対称戦だな。正規軍が苦手とするのが対ゲリラ戦と言われている」
「それだ。内山は、前にも妙な戦い方をするフィリピンの選手相手に手を焼いた」
「聞いていると、本来なら避けるべき相手と戦ってしまったように思えるね。戦略的な過ちだ」
「どうしてもやらなければならないなら、勝てる戦術を取るべきだったという事か」
「ああ、一本調子だったんじゃないのか」
「戦略がなく、戦術的に柔軟性に欠けるというのは日本の問題とされる所だな」
「日本はオペレーション・リサーチでもかなり遅れを取っているからね」
「内山の引退とそういう事がつながっているという事か」
「うーん・・・かつての三矢研究で想定された事態が現実味を帯びて来たんで、話がそう流れたとも言えるし、どうかはわからないが、考えてみても無駄ではない所だとは言えそうだ」
「ともかく、大晦日に内山の試合がないというのは寂しいものだったよ。超一流の選手の引き締まった試合で一年を締めくくるのはいいものだった」


2017年12月23日土曜日

small talk:カラオケ昭和歌謡

「ちょっと前の毎日新聞に柄谷行人のインタビューが掲載されてた。憲法9条の話だった」
「毎日新聞2017年11月27日、東京朝刊の「そこが聞きたい 憲法9条の存在意義 ルーツは「徳川の平和」 思想家・柄谷行人」というインタビューだ。ひどいもんだったね。柄谷行人て、ありゃ、馬鹿だったんだな」
「柄谷行人というと、こっちもちょっと構える所があって読んだんだが、この人、この程度だったのかと情けなかった」
「宮台あたりだったら、どうせチャラチャラしてるんだから読まなくてもいいかとなるんだけど、とりあえずこのくらいなら読んどかないととは思って読んだ。だが、いちいちあげつらう気にもならないような内容で、呆れるというよりも心配になった」
「わざと宮台なんかの名前を出すなよ。あれは誰でも馬鹿だと思ってるんだから」
「柄谷の憲法9条の存在意義のインタビューを読んで、東大全共闘を思い出したよ」
「あいつらの何をだ?」
「安田講堂の攻防の時、他の大学から来た連中が機動隊とぶつかっている時に、東大の連中は歌を歌ってたという話だ」
「ああ、外人部隊だった連中はよくボヤいてたな。いかにも東大生らしい話だ。で、柄谷の言ってる事は、その歌みたいなもんだと言いたいんだな」
「そういう事だ。それで考えてみたら、今は取っ組み合ってる連中はいなくて、みんなで歌歌ってるだけだと納得した」
「だったら、柄谷だけじゃなく、あいつら、みんなカラオケ教室にでも行った方がいいな」
「ああ、その通りだ。頑張って昭和歌謡を稽古するといい」
「昔は憲法なんて踏みにじって、天皇制打倒とか言ってたくせに、旗色が悪いとなると9条でございって、原則も何もない連中だ。何が「9条の会」だ」
「柄谷も含めて、めでたくやってりゃいいよ。もう邪魔ですらないんだからさ」



(毎日新聞2017年11月27日 東京朝刊)

2017年12月22日金曜日

一番腹減るのは何歳ぐらいかな???

僕は二十歳だった。 それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい。
 というのは、フランスの作家ポール・ニザンの作品『アデン・アラビア』にある言葉だけど、この言葉に触れてわざわざ

人生でいちばん美しい二十歳

と言った人がいそうな気がする。

そうだね、せいぜい7番目だね

なんてのもありだね。

 ポール・ニザンはエマニュエル・トッドのお祖父さんだけど、ちゃんと読んだ人は少ないらしい。
 まあ、青春が美しいとかどうとか言われてもね、ただ若いってだけで美とかあんま関係ないからね。



2017年12月14日木曜日

あの日の後

 震災の後ちょっとして、獣医さんからパニックになった犬や猫への鎮静剤の投与で忙しいと聞いた。
 当日、一匹だけでマンションの留守番をしていた猫が、怖がってマンションにいたがらないので猫を連れて実家に帰った女性の話は、別の所で聞いた。
 その頃飼っていたウチの猫は平気だったので、あの時、人が一緒にいたからだろうという話になり、あんたでも役に立つことがあるんだねと、女房に妙な感心をされた。

 福島の原発が停止に失敗した事故で、あれだけの大地震で事故はたったの一件で、他の原発は無事停止して安全を示し、しかも、事故を起こした福島でもその程度はさほどでもなく安心したが、難癖をつけて騒ぐ連中はいるだろうな、嫌だなと思っていたら、やはり左翼と新興宗教が騒ぎはじめた。
 驚いたのは、その騒ぎが影響力を持ってしまった事だった。犬や猫も鎮静剤を必要としたのだから、パニックを起こした人たちが、闇雲な恐怖心から馬鹿げた行動に走ったのも自然かもしれない。その影響力までは測れなかったが、そういう事が起きるのは予想できたという意味でも、あたりまえの成り行きだったのだろう。

 脱原発は、原発事故への反応というよりも、震災のショックに根を持つように思えてしかたがない。脱原発は、観念的に科学を否定し、文明を否定する考え方で、それを選択したという事は、日本では、非常に偏った情報空間に生きる事を選択したのと同じ意味を持った。情弱というのは、そうした選択をした人たちと言ってもいいかもしれない。
 脱原発をしかけた左翼は、日本を否定し、北朝鮮や支那の味方をしたい人たちで、支那や北朝鮮の核兵器や原子力発電、科学や統制社会、言論弾圧、軍国主義などは肯定しているから、情弱層を作り出さなくては嘘が通用しない。情弱の罠は脱原発が入り口だったと言える。そして、そんな罠に引っかかってしまったのは、震災の恐怖と、あまりに大災害で錯乱していたからだ。犬や猫までがパニックに陥ったのは、その恐怖や錯乱が根源的だったからだ。
 でも、実際は文明の中でしか生存できないのだから、いつまでも恐怖という自然に縛られているわけにはいかない。時間はこっちの味方だよと歌う "Time is on my side" は、いい曲だなと改めて感じたりもする。




311、あの日に 5

 東日本大震災の日・・・

 家にいた。グラグラと揺れはじめた時、あ、地震が来たなと思った。いつもなら、その思ったあたりで揺れが収まるのだが、そこから激しかった。
 ドンと縦に揺れた後、グラグラと横揺れがあったように感じた。
 驚いて、テレビをつけた。それから、数日間、インターネットとテレビに釘付けになった。
 余震が断続的に続いた。落ち着かないと言ったらなかった。

 その頃、群馬県の館林という所で仕事をしていた。東武伊勢崎線で通っていたのだが、数日間、電車が不通になった。電話も通じない。毎日、何度も電話をかけ続けた。
 勤め先の事務の女性は、あの日の夜、ご夫婦で牛丼を食べに行ったら、もの凄い人でかなり並んだと言っていた。
 群馬あたりだと車で出る。揺れが続く中、人のいる場所に行きたかったのかもしれないと思って聞いていた。
 その後、ガソリンが値上がりしたのか、地元の人たちは、どこでガソリンが買えるといった話をしていた。

 電車や駅で、どこかに届けるのだろう、沢山のヘルメットをかかえている人を何人か見かけた。そんな人をぼんやり見ながら、ああした物も売り切れになっているだろうから、買える所で買って、必要な所に持って行くのかもしれないなどと思っていた。のんきなヤツだった。

311,あの日に 4

 東日本大震災の日、あるガス設備屋さんは・・・

 セミナーで品川の東京ガスにいた。
 揺れた後、屋上に避難するよう指示され、屋上に出た。
 高速道路が見えた。火を吹いている車がいた。
 その後、解散になり、仲間と駅に向かった。
 途中の商店街では、どの店も無料で通行人に飲み物を配るなどしていた。
 電車には乗れなかった。ホテルに行ったが満室だった。
 カラオケに飛び込んだら、運良く入れた。
 家族に電話をしようとしたが通じなかった。
 朝までテレビを見て過ごした。

 翌朝、かなり遠回りすれば帰れそうなので電車に乗った。



2017年12月13日水曜日

311、あの日に 3

 東日本大震災の日、ある主婦は・・・

 掃除をしに実家に行っていた。
 揺れた後、これは家に帰ろうと決めた。
 バス停に行った。若い男が一人いた。
 バスは来なかった。
 しかたなく歩いて家に向かった。
 途中、隅田川が逆流しているのを見て、怖かった。

 

311、あの日に 2

 東日本大震災の日、ある呉服屋さんは・・・

 最初の揺れがおさまってすぐに、とにかく食べ物を手に入れようとコンビニに行った。
 もう何もなかった。棚が空になっていた。
 電車が止まったというので車を出し、従業員を家に送り始めた。
 道路は混雑しており、ほとんど動かない場所も多かった。
 朝までかかってみんなを自宅に送り届けた。

 コンビニの棚が空っぽになった光景が忘れられない。



 

2017年12月12日火曜日

311、あの日に

 東日本大震災の日、牛丼屋さんで働いていた人は・・・

 交通機関が止まり、帰宅できなくなっていた。店は営業を続けていたので、そのまま働いていた。どんどん客が来て、しばらくすると食材が底をついた。
 店を閉め、従業員全員で別の店舗に移動した。
 その店にも客がつめかけていた。その店でも応援として接客した。
 また、食材がなくなった。再び、別の店に行った。
 こうして、小さな店舗から大きな店舗に向かって移動して行った。客は切れる事なく、どの店もいっぱいだった。
 朝まで働き、電車が動くようになったので帰宅した。

 ある店で、みんなに慕われているおばちゃんが、若い店員を心配して、食べ物を持って、自宅から店に自転車でかけつけたという話を後で聞いた。



2017年12月11日月曜日

科学が到達していない場所

 東日本大震災の衝撃から抜けられない知人が、除染が進んでいないと、その進行の遅さを嘆き、安倍首相を批難していた。
 その姿は、古くからの庶民の像そのものであり、ある種素朴でもあった。
 少しうんざりしながら、安倍政権が批判されるとしたら、非科学的で無意味な除染を続けている事だと思った。
 除染などやめ、さっさと安全宣言を出し、こんな問題ですらない問題を終わりにし、原発を再稼働させればいい。それが最良の方法だというのはわかっているはずだ。
 そうでないとしたら、延々と除染を続け、何十年も、いや、百年以上も無意味な作業を続ける事になる。いくら馬鹿げていても、行政はやるとなったらやるだろうが、やったからといって意味が発生するわけではない。
 日本の足を引っ張る事にだけ血道をあげる日共にかぶれてしまった人たちのために、馬鹿な事を放置する必要はない。さっさとケリをつけた方が彼らが熱病から覚めるのも早いのではないか・・・
 などと、そんな事をつらつら考えながら、この私の考えは知人とは正反対に見えるのだろうなと、その事実にいつも通り少し困りつつ、話が終わるのを待っていた。
 その日は、色々なものが終わるのを待っていた。
 その後に期待しているものがあったためだ。
 震災以来、こんな場面が多い。



2017年12月9日土曜日

政治に関心があるなんて、不幸なだけの話だ

 東日本大震災時の原発の停止中断事故で起きた事のひとつに、多くの人が感情によって政治的になり、日共や左翼(つまり、マルクス主義カルト)や宗教カルトの勢力拡大に簡単に加担してしまうという現象があった。
 言い方を変えれば、政治は感情によって動いてしまうという事だ。
 とりわけ、左翼は二言目には「怒り」を持ち出して人の感情を煽ろうとする。彼らの政治運動の中身は感情とグロテスクな進歩意識から出て来るものだ。
 感情に左右されるというのは政治のありようとしては原始的というか、野蛮な状態と言える。感情に左右されてしまうと、政治は簡単に暴力を呼び込む。感情的になって、暴力に流れてしまうわけだ。
 そこを越えて、政治に理性を据えるとする。これは見方を変えると、利害の問題となる。利害の調整を政治の役割とするのはこの段階にあたる。
 感情に左右される、原始的な政治のありようを、別の見方から見れば、理想主義的な政治ともなる。政治に理想の追求を求めるのは、利害を度外視する事にもつながる可能性がある。この場合、利害は理性だから、理性を振り捨てて感情のままに振る舞う事を政治に許す結果となる。
 理想主義の究極は神聖政治で、造物主たる神のためには、被造物たる人間の生命存在など無に等しい事になって、いくら人間が死のうとも神のためには惜しくなどない。これは一神教にとって当たり前の話であって、実際、歴史にあって何度も繰り返されて来た。
 現在では、聖戦などと言ってテロを繰り返しているイスラム過激派が理想主義的な政治を実行している。
 このように考えて行くと、理想主義的な政治よりも、せせこましく、汚れた利害の政治の方が理性的であり、よりまっとうだと見るしかない。
 多数の利害に沿った政治が行われるのが民主主義だとすれば、そこに民主主義のいい所がある。そこに、組合などを通じて、党派的な理想などを持ち込んで利害をそっちのけにする行為は、共産党や社民党によって行われて来たが、理性的に見れば、そうした行為は民主主義にとってのノイズでしかない。また、理性ではなく、理想=感情に左右されているという意味では、政治の反動的なありようでもある。

 信仰や理想は、個人の自由の範囲にあるべきもので、それが社会性を持つところまでは許容範囲になりうるが、政治との区別を見失うと有害だ。

 今のところ、政治は感情で動いているようなので、こんなものにつきあうほど根気のある人以外にはオススメできる代物ではない。興ざめするほど馬鹿馬鹿しいものだ。
 若い人は、政治などに興味を持たず、恋愛や遊びや趣味に力を注ぐのがまともだと思う。不満の毒を吐き散らす妙な人たちは避け、嫌だなと感じながら避けているのが、人生の積極性だ。


2017年12月8日金曜日

ジャズと演芸、あるいは、電撃戦と比島決戦、そして、朝鮮戦争


 イメルダ・メイからメイつながりで、ウナ・メイ・カーライルを思い出した。
Una Mae Carlisle という綴りだから、ユナと読む人もいるが、ウナでいいと思う。
1915年生まれで、1956年死亡だから、41歳という若さで亡くなった事になる。
10代の時から、ファッツ・ウォラーなんかに引き立てられて歌っていたらしい。作曲もするし、ピアノも弾く。でも、やはり歌が抜群にいい。とても個性的な歌唱で癖になる。
「Blitzkreig baby」(電撃戦の可愛子ちゃん?)という曲が最初に気に入ったが、ドイツ軍をからかった戦意高揚の曲なのだろうか、

電撃戦ベビー、あんたは私を爆撃できないわよ
 こっちの言い分は当たり前なんだから
こっちが銃をとったら、あんたは目の前からいなくなっちゃう
電撃戦ベビー、あんたは私を吹き飛ばせないわよ
電撃戦ベビー、かわいいね
 みんなあんたのパラシュートを着て、
さあ、政治宣伝しよう
電撃戦ベビー、あんたは私を爆撃できない
そうだとしたら、日本ならさしずめ「比島決戦の歌」みたいなものだ。
 また、この話になるが、東京コミックショーは、出し物にまぎれて将校クラブで米軍相手に「比島決戦の歌」を口ずさんでいたという。
「これ聞いてたあいつら、みんな朝鮮で死んじまった」
 ショパン猪狩はこんな風に言ってた。
 笑えるけど、悲しくて、戦後の薄暗さを感じる、何とも言えない瞬間だった。

 話はかなり外れてしまったけれど、ウナ・メイ・カーライル、いい音楽家だから、機会を作って聞いてください。スポティファイに入っていて、無料で聞けます。

「una mae carlisle」の画像検索結果

イメルダ・メイの "Life Love Flesh Blood" がいい

商品の詳細
 前から好きだった歌手イメルダ・メイの新作(2017)「Life Love Flesh Blood」が素晴らしい出来だ。日本語に直訳すると「生、愛、肉、血」となるタイトルだが、「生命、愛、身体、心」という感じに読めばいいのかな?
 歌唱力は抜群で、特徴のあるいい声で注目していた。ロカビリーなんかやってて、凄く可愛かったのが、もうお姉さんになってしまった。
 それでだろうか、声の特徴は少し引っ込んでしまって残念だが、歌唱力は深みが出てきた。曲もいい。
 何だか嬉しい作品だ。


2017年12月6日水曜日

不可能は誰に対しても平等であって、努力する人にもしない人にも同じく不可能だ

 例えば、政治がうまく行っていれば、誰でもがフーリエ解析を理解できるようになるといった事は起きない。まったく別の系に属する事柄だからだ。
 ならば、どうして政治に、例えば幸せを求めるのだろうか、幸福という主観的な価値観は個人的であり、政治がそれをどうこうできるなどありえない。
 政治的な問題があって、国民が政治的不平等下に置かれているといった不幸に陥っているのならば、例えば北朝鮮や、ソビエト崩壊前のロシア、東欧諸国、あるいは、大躍進や文化大革命時代、毛沢東指導下の支那などを想起すればいいと思うが、その場合はソビエト崩壊に匹敵する変化が必要だが、ソビエト崩壊がKGB(現FSB)という巨大政府秘密機関が計画立案実行した行動だったように、政治的不幸に陥った国家において、その不幸を解決する方法は、必ずしも民主的な方法、つまり選挙によって解決できるものではない。いや、政治的不幸の状態にもよるが、最もその解消を必要とする状態であればあるほど解決方法も解決能力も、国家内のどこにも存在しない可能性すらある。

 肥大化した社会保障制度、産業の国有化による不効率、既得権確保にのみ走る組合といった問題で「病人」と呼ばれたかつての英国は、民主的な選挙でマーガレット・サッチャーが政権についた事で解決の方向を見出したが、あれは西側先進国だから出来た事であって、そのまま世界に広げて一般化できるものではないだろう。せいぜい、日本にあてはめる事が出来るくらいかもしれない。
 英国病は、北海油田の成功で英国が産油国に転じた事で解決したとされるが、今の日本でなら、稼働していない原発を再稼働させる事で経済に大きなはずみをつけられる可能性が高い。

 まあ、政治に出来るのはせいぜいそこまでだ。政治は政治・経済問題に対処する以外の事は出来ない。利害の政治的調整だ。これがひとつの考え方。

 これとは別に、政治は理想を実現する手段だという考え方がある。
 社会問題をはじめ、様々な問題を政治的に解決しようという考え方だ。これは立法によって法規制を行うという方向になるだろう。

 政治を利害の調整サービスと考えるか、理想追求の手段と考えるかは大きな違いがある。小さな政府を目指す立場は利害の調整サービスの側になるだろうし、理想追求の側は大きな政府になる傾向がある。
 政治に理想追求など無理だから、政府は小さい方がいい。これは原則だと思える。例えば、社会的な問題を政治的に解決しようとするのは、例え目的が良かったとしても、あまりいいやり方とは考えられない。
 何故かと言うと、良い目的であっても、それを法律で社会に強制する事になるからだ。権力で社会を統制するという事だ。目的が良くても、そのやり方では目的の良さを損なってしまう可能性が高い。しかも、目的の達成は不十分な水準にとどまるだろう。

 大きな政府が国民を丸抱えして、何でもかんでも面倒見ますなんて、うまくいくわけがない。いや、それ以前に出来るわけがない。それは社会主義が失敗するのと同じ理由だ。
 そういう次第で、政府は小さくして、法規制は少なくし、何から何まで行政が面倒を見るなんてことは考えない方がいいんだけれど、ここで戦う気はないから、大きな政府が好きな人たちが失敗して行くのを止める事はしない。

 お互いに、死にそうでも、助けないでいようね。


婆さんは象徴ではないけど・・・

 つい先頃、女房が歩いていたら、ヨボヨボの婆さんが、両手に大きなスーパーの袋を持ってヨタヨタと進んでいたのが、ついに息が切れたか止まってしまったという。
 慌てて近寄り、声をかけると、
「あたしゃ人の世話になるのが嫌いだし、まだまだ大丈夫なんだよ」
 と意地を張っている。それでも荷物を持つと抵抗するわけでもないので二つの袋を持ったところ、後から来た若い男が、自分が持つと言って持ってくれた。
 そこで、女房は婆さんを支えて歩き出した。
 この婆さんはすぐ近くの四階建てのマンションの四階に住んでいた。四階建てというのはエレベータがないという事で、婆さんは両手に大荷物を持ち、階段を登るつもりでいたのである。
 そもそも、どうしてそんなに沢山買い込んでしまったのか、浅い疑問は次々と浮かんで来るが、婆さんの思い込みの前では、そのような疑問など消え去るのみ。ともかく、その場が無事におさまったのをよしとする他なかった。
 老婆は、まだ、自分は歩ける。天皇陛下と同じ歳だが、陛下がまだ頑張っていらっしゃるんだから、自分も平気なのだと、飛躍した論理を口走っていたという。

 今日、女房と乃木将軍は偉い人で、奥様の辞世の歌もいいなどと話をしているうちに、ふと、その婆さんを思い出した。
 陛下の退位の決意は、私たちにその存在を強く意識させた。陛下の御退位と婆さんのむやみな自立心が重なり、わたしたちをはさみこむ。

救いがあるような、ないような

 菊池寛が
「代数は役に立たなかった。世の中で役に立つのは小学校でやった算数だけだ」
 といったと、数学者の遠山啓が書いている。実に菊池寛らしい。
 遠山は面白いと感じ、苦笑いをしながら紹介しているのだが、こちらとしては、菊池寛は本当に馬鹿だなと、ガッカリしながら頭を抱えるしかない。遠山のような温かい目で菊池寛を見るだけの高みにはいないからだ。
 遠山よりは菊池寛にはるかに近い、低~いところにいるから余裕がないという事も大きい。
 という事で、実は自分にガッカリしているわけだが、今さらとりもどせるものでもない。それでも、
「世の中で役に立つのは小学校でやった算数だけだ」
 などとは言うまいと思う。
 そんな事を言う人は、代数などロクにやっていないに違いないし、算数だって、本当は怪しいものだからだ。
 数学をけなしても、自分が勉強をしなかった言い訳にはならない。勉強すべき時に勉強しなかったのは、怠惰だったからだと、いやでも認めるしかない。
 それで、自分の怠惰さを戒めるのが正しい道で、開き直って、怠惰を邁進するのは間違った道なのだが、ゆるく戒めて、時々、少し開き直る凡夫の道もない事はない。
 で、たいていは凡夫の道を歩むのかもしれない。




2017年11月2日木曜日

産経の整理部、無能なのか?

 産経新聞のサイトでよく記事を読む。ひどい文章がわりと多いのでちょっと気になる。内容ではなくて、日本語として違うという意味での「ひどい」だ。朝日などは内容がひどい。

 2017年11月2日の朝、7時台ぐらいに掲示されていた記事だ。

 まず、「嗚呼、絶望の党。「逃亡中の女王」と仏紙に揶揄された希望の党・小池百合子代表の進む道は」と題した記事。

 この中で「妙に演技がかったその仕草」
 とあるが、こういう言い方はない。正しくは「芝居がかった」だろう。
 整理部は何をしている? ネットの記事にはかかわらないのだろうか?

 次に、「勝てない韓国サッカー 中国にランクで史上初めて抜かれる体たらく 「恨」が炎上中」という記事。

熱狂的なファン5人が、韓国代表が帰国した10月15日に仁川国際空港へ詰め寄せた。
とある。
 おそらく「詰めかけた」と「押し寄せた」が混ざり合ってしまったのだろう。
 しかし、どちらも大勢の行動を表す言葉で、5人の行動を表しているこの場合の用法ではない。
「押しかけた」なら、一人でも使うが、この場合にはそぐわない。
 つまり、この場合、記事で「詰め寄せた」などと表現すべき内容はまったくないので、こういう無様な事になっている。
「韓国代表が帰国した10月15日に仁川国際空港で熱狂的なファン5人が」とすべきだろう。


 それから、これはいい所をついた記事なので惜しいが、日本語が出来ていない。
日本代表部の外交官につかみかかられた! 広報資料なのに「それ、内部資料でしょ。返しなさい」 報道封殺よりユネスコの審査改革を進めたらどうですか?」という記事。

「それ、内部資料でしょ。返しなさい」。日本代表部の外交官が、私が持っていた議案につかみかかった。
つかみかかるは、胸ぐらをつかむといった対人攻撃に使う言葉で、この場合の用法ではない。日本の外交官が暴力をふるったとしか受け取れない文章になってしまう。
 ただ「議案をつかんだ」とか、「つかみ取ろうとした」が適切だろう。

 産経の整理、何やってるんだ?


追記(2017/11/03):
「つかみかかる」だが、「つかみかからんばかりの勢いで」という言い方もある。この記事の場合は、これが適切かもしれない。だが、これを短縮して「つかみかかった」とは出来ない。